「原因は自分にあると意識する」失諸正鵠、反求諸其身

諸を正鵠に失すれば、反って諸を其の身に求む
―失諸正鵠、反求諸其身―

[原文](中庸 右第十四章)
射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身。

[書き下し文]
射(しゃ)は君子に似た有り。諸(これ)を正鵠(せいこく)に失すれば、反(かえ)って諸を其の身に求む。

[原文の語訳]
弓を射るのは君子に似ている。矢が的を外してしまった時には、その原因が自分のどこにあるか考える。。

[解釈]
失敗の原因は他になすりつけるのではなく自分のどこがいけなかったのか反省するということです。

矢を射るでも風だったり弓の張り具合だったり、ひょっとすると虫が浮遊しているかもしれません。それを原因にするのではなく、加味した上で次は命中させるため、自分自身で自らの所作を検証し修正するのです。

無い事も思い通りにはいかないものです。できる人はそれを見越した上で考察するのです。

トップは組織の失敗は組織全体に原因があり、そのトップである自分のどこに落ち度があって組織の失敗を引き起こしたのかを反省するのです。それが適材適所だったのか、仕組みがいけなかったのか、元をたどれば発端は自分にあるのです。

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