「細かいことで目くじらを立てない」蝸牛角上之争

蝸牛角上の争い
―蝸牛角上之争―

[原文](白居易 対酒 - 荘子 則陽篇)
対酒「蝸牛角上之争何事、石火光中寄此身、随富随貧且歓楽、不開口笑是癡人。」

[書き下し文]
酒に対す「蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)何事をか争ふ、石火光中此の身を寄す、富に随ひ貧に随ひ且(しば)らく歓楽せよ、口を開いて笑はざるは是れ癡人(ちじん)」

[原文の語訳]
酒に対す「かたつむりの角のような狭い所で争うとは何事か。人生は火打ち石の火花のように一瞬である。貧しくても富んでいてもよろこび楽しんで過ごすべきである。口も開けて笑うこともしないのは愚か者である。」

[解釈]
荘子「則陽篇」から創作された白居易「対酒」という漢詩です。

かたつむりの角のような小さなところで争っているようなものという萬話から、大局から見ると意味のないような小さい事柄で争うことという意味に用いられます。四字熟語「蝸牛角上」があります。

宇宙の誕生から見れば、人の一生は火打ち石を打ったときの火花ほどの一瞬です。その瞬間的な時間しかないのに、これまた宇宙という広大なエリアの中の砂粒ほどの地球の、さらにその一部の地域で争いごとをしてることを考えると、馬鹿らしく思えてこないかということです。その一瞬でも与えられた人生、楽しんで生きないとはもったいないということです。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」です。広い社会の中にあって自分の中にある小さなプライドのために、尋ねることを恥じている考え自体が恥ずかしいことかもしれません。

会議でも「今はそんな細かい話は今はいいから」という内容で大切な時間を浪費していることがありますよね。

揚げ足を取るとか言葉尻を捕まえて騒いでいるのを見ていると呆れてくることもありますし、無駄な言い争いからやがて人格否定に延焼して大事になることもあります。

口喧嘩でも一方がこの言葉を思い出し、豊かな気持ちをもって寛容な心で笑って聞き流せると良いですね。

政治の場での議論を見ているとそう感じることが多くなりましたね。

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