「締め付けすぎない」天下多忌諱、而民彌貧

天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し
―天下多忌諱、而民彌貧―

[原文](老子 第五十七章)
天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昏。

[書き下し文]
天下に忌諱(きき)多くして、民いよいよ貧し。民に利器多くして、國家ますます昏し。

[原文の語訳]
国の禁令が多くなると、民衆はますます貧しくなる。民衆が鋭利な兵器(または便利な道具)が多用されるようになると、国家はますます混乱する。

[解釈]
締め付けが厳しくなりすぎると自由がなくなって息苦しくなってきますし、人の心は荒んでしまいます。民衆が反発し武器を持って蜂起したり、文明の利器を活用して反旗を翻すようになって国内が混乱してしまいます。

世論を無視した施策をすると関係各所の前でデモを行うようなものですね。中には自らの正義を主張するあまり、自身、周りが見えなくなってしまう人も見受けられます。

「利器」は昔は鋭利な兵器という意味があったようです。一揆や変などありましたね。現代では「文明の利器」といった便利な道具に置き換えられると考えます。

便利な世の中になると逆に自分がそれに振り回されたり拘束されてしまい、それによって弊害が生まれ、今度は行き過ぎが規制の対象になってしまうこともあります。

また法律が厳しくなると抜け道を使ったり、さらに苦しくなって犯罪に手を染めるなんてことも。

車が多くなると移動に便利になりますが、それによって交通事故や渋滞が増えてしまいます。ネットも便利ですが時に誹謗中傷だったり国家を揺るがす情報漏えいや炎上騒動が起きていますね。

店舗でも店内ルールが厳しくなるとお客さんは利用しづらくなりますし、その心情をネットに投稿して店側が批判されるということもあります。

組織内でも規則が厳しすぎると所内が息苦しくなったり、自由闊達な気風も失われてしまい、組織自体もトップの力量以上の向上が望めなくなってしまいます。

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