「質問の意味を理解して適切な返答を」我叩其兩端而竭焉

我れ其の両端を叩いて竭くす
―我叩其兩端而竭焉―

[原文](論語 子罕第九)
我叩其兩端而竭焉。

[書き下し文]
我れ其の両端(りょうたん)を叩いて竭(つ)くす。

[原文の語訳]
私は初めから終わりまで(内容を)確認して答えている。

[解釈]
初めから終わりまできちんと確認した上で、適切な回答を出すということです。

話半分で質問を遮って答えると、相手の求めるものとは違うものになるかもしれません。

日本語は文法上、話を最後まできかないと肯定なのか疑問なのかがわからないときがあります。聴く方は「1を聞いて10を知る」ではなく「10を聞いて10を答える」としなくてはいけません。そうすると質問した相手は「10を聞いて100を知る」より具体的に理解することとなるのです。

孔子は複数の弟子から同じ質問を受けても、その時々で違う返答をしています。相手の質問の意図を汲み取り、適切な回答をしていたと想像します。ひょっとするとただ単に毎回その時の気の持ちようで違うことを言っていたかもしれませんが。

事にあたる際には、不明瞭なところを明確にしたほうが具体的な解決策も出やすくなります。

質問される側がこのような対応をすれば、する側も感化されて具体的な質問ができるようになるのではないでしょうか。

ただ単に抽象的に「何をやったらよいですか?」と訊くよりも、報告とあわせて自分の現状を伝えた上で指示を仰いだほうが、指示する方も適切に指示できます。

お客さんに見合ったものを提案するにも、お客さんにいくつかの質問をしながら徐々に絞り込んでいくのです。

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