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【映画感想111】スケッチ・オブ・ミャーク/大西功一 (2011)

あまりにアレすぎる語彙力をなんとかするため、毎週水土に映画の感想を書いています。
3週間空いてしまいましたが、今回は「スケッチ・オブ・ミャーク」という民謡のドキュメンタリー映画をみました。

★あらすじ
沖縄県宮古島には、ひっそりと口伝で唄い継がれる歌がある。厳しい暮らしや神への信仰から生まれた唄と、そこに暮らす人々を音楽家の久保田麻琴が追うドキュメンタリー。

★感想
・ドキュメンタリー全体の感想

バックに流れる歌に合わせて歌い手のインタビューや現地の映像がながれていくのですが、

あるときは歌声に波の音や枯れ草の擦れる音が、
ある時は独特の抑揚のある話し声が重なり、
ひとつの曲のように聴こえる瞬間があったのがよかったです。

現地の型ではなく司会役である久保田麻琴さんが話すシーンもあるんだけれど、声のイントネーションもリズムも現地の人とは明らかにちがう。

やっぱりその地に足をつけて生きている人の声でなくてはだめなんだろうなあと思いました。

これは自分の話ですが、以前アイルランドに行ってたくさん現地の伝統音楽を聴いて帰ってきたあと、楽器の演奏が違うと言われたことがありました。身体の中になんとなく音楽が残っている感覚があったのですがしばらくして消えてしまい、
やっぱり現地の音楽を学ぶには場所の音や空気が身体に染み込んで消えないくらいの月日をそこで過ごさなければいけないのかなあと映画をみて改めて思いました。

・ちょっと祖母を思い出してさびしくなった
映る人が奄美大島に住んでいた祖母に似ていてびっくりしました。
(奄美と沖縄は近いだけで全然違う文化圏なんだけど、ハリのある皺の奥に光ビーズのような目は似ている気がする。どっちも気候がにてるからだろうか?)

ところでわたしは親戚の集まり島の顔ではなく「内地の顔」だと言われてて、現地の親戚とは全く似ていない。自分の中に祖母と繋がる要素がなくて、やっぱりあっちで生きていたらどんな顔で声になったのだろうかとか、せめてもっと会えていいればとふと思ったりもする。

映画のインタビューの中で、「神が一緒に歌ってくれる」とコメントがあったのですが、かつて一緒に歌った、もういない人たちも記憶の中で歌ってくれるのではないかと言う気がしました。
口から口へと継ぐ歌なので、少なくとも自分に教えてくれた人の声を思い出すことはあると思います。

祖母と奄美の歌を歌ったこともその話をしたことがないので、聞いておけばよかったなあと思いました。。
(歌い手でなくても、現地の人なら誰でも知ってる&歌ったことがあるような歌がある)

・映画に対する批判について
映画のタイトルで変換すると「批判」という予測変換のワードが出てきました。

内地の人間がシマの大事な歌を扱うことやあまつさえ手を加えることに対して、もしかしたらブラック・ミュージックを白人がアレンジするのにも似た「侵略」という感覚があるのかもしれません。

ただ個人的には、この宮古島の外にいる人間の声や音楽と宮古島の音楽の壊滅的な「合わなさ」が宮古島の歌は宮古島の人間にしか歌えない、という事実を浮き彫りにしてる感じがして必要な気はしました。

音をアレンジした箇所が音楽的にいいと思ってやってるのかコントラストを出す為にあえて入れたのかわからないけど、結果的に引き立ててるので
このままでいいんじゃないかなとわたしは思います。

もうひとつフォローすると、ステージで歌うシーンで歌い出す前のやりとりをほぼカットしていなかったので、監督には少なくとも歌声=人だという認識はあると思う。また、単なる音の素材としてしか見てなければああいう撮り方にならないとも思うんだけど、どういう振る舞いがリスペクトに欠けるかって受け取り手によって違うから難しいよね。



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