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将来の目標を見つけた。 by 「私」

 今晩は、104(トヨ)と申します・・・と言いたいところですが、今夜は「私(原型)」としての発見があったので、今回のnoteは「私」がお送りいたします。よろしくお願いします。

 今日、将来の夢が見つかりました。将来の夢といっても職業や業績のような大層なものではなく、ちょっとした暮らし方の希望の様なものです。

 これは見方によればとても些細なこと、くだらないことです。ですが、私にとっては少し嬉しいことでした。というのは、将来の夢はあっても半分諦めていたり素直になりきれなくて「夢は何?」と聞かれて答えようとすると舌の先で止まってしまうことが多かったので、具体的な目標が持てたのはとても大きいと思いました。
 昔から「夜は星が見たい」と思っていました。しかし、今居る"此処"から見る星はあまり見えず、それ以前に夜は曇りがちなので星は滅多に見られません。月は時々見えるのですが、星は季節を代表する星座が何個見えるか、というくらいです。星座や神話に興味のある私としてはそれはとても寂しいことです。どうせ実在するものならこの目で見たいです。だから、星の見える場所に移り住みたいと思うに至りました。将来の目標が持てたことで、これからの行き先に一筋の明かりが射したように思えました。目標があれば目標を成就させるために整えたい条件が見える。整えたい条件に乗じてわがままを言えばそれも目標になる。そうして夢は見つかる。
 上に示しましたツイートは、「本心から」というのが肝です。自分の考えから将来への欲が芽生えたことに私は感動を覚えていました。将来の夢というものは上から提示されて、その選択肢を広げるに足る力を得て、可能なものの中から選んでいくものだと思っていました。嫌いなものはやりたくないですし、向いていないものはやっても仕方がない。夢というものは消去法で決めるものだと思っていました。消去法や体裁から難しい夢を選ぶのが美徳だと考えかけていました。こうして叶えたい願いを少しずつ繋げていけば、「将来の目標」と呼べるものは案外組み上がるものなんだと驚いています。

 「何があった」と言いますと、今日は機会がありまして七夕の話を聞きました。ご存知の方もいるでしょう、七夕は旧暦の7月7日の行事であり、今の暦でいう8月の行事であるという話からこの目標に気づきました。もっと詳しく述べますと、今の暦の7月は梅雨。天気はそんなに良くありません。元々8月だったのはちょうど梅雨が明けて晴れるから、星が見えるからだと聞きました。旧暦での天体の条件が新しい暦になることで切り離されてしまったのです。

 (この話を聞く前の七夕当日に私が呟いたこと。今思えば当たり前でした。来月に賭けるものとしましょう)

 この話を聞いて8月に改めて夜空を見ようと思い、それと同時に「見るなら星をいっぱい見たい」「たくさんの星が綺麗に見える場所はきっと素敵だ」とも思えてきました。其処で初めて「移り住む」という発想に至りました。星が綺麗な家にいられたらきっと素敵だと思ったのです。しかし、だからといって勢いで移り住んでも途方に暮れるだけと思ったので、考えておくべき事項をいくつか一緒に頭の片隅に置いておくことにしました。「生活が安定したら」とか「防音」とか「インターネット」とかはそういうことです。

・星が見えるということは街灯や近隣の家は少ない方がいい、それでいて時々都内に遊びに行きたいしアクセスはいい方がいいので駅に近い家に住みたい。駅という条件が厳しいなら商店が近くにあるといい。
・人との距離には細心の注意を。帰属意識で繋がれるのならいいが強迫観念や使命感に束縛はされたくない。そのためには家でできる職業を選び、在宅ワーク用の環境が整っている必要がある。1番の理想はこの活動を職業とすること。できるまでは移り住むのは控える。
・声を出すには防音する必要がある。静かさを求めて自分が騒がしくするのはわがまま、違う。家を初めから防音にしてもらうか、自作防音室(アトリエ的な)を作るか。お金と技量に相談する。「自作防音室」を作るツイートを見て憧れを抱いた。やってみたいがどれくらいかかるだろうか?そして効果は如何程か。
・できるなら自転車か電車で行ける範囲に図書館があるといい。文字が大好きだ。本を捲る手つきも好きだ。文字に貼りついた知識が好きだ。
・眠れないことがあっては困る。夜は静かであってほしい。静かに星が見たい。
・虫は苦手だ。一人で倒せそうにない。あまり入ってこられないような工夫をする必要がある。逃す経路も必要だ。ゴミのルールもしっかり把握できる場所に住もう。
・紙媒体の文字もデジタルの文字も好きだ。SNSは見たいから携帯のお店も電車で行ける範囲内にあってほしい。
・居住スペースと作業スペースは分けたい。しかし掃除の手間はかけたくないし結婚する気はないのでそんない大きい家は望まない。
・何より「生きたい」と願えること。それには刺激と好奇心が必要。星と木に囲まれながら街への経路を確保したい。目標を果たした時が一番幸せであってはならない。それぞアパシーの正体と私は考える。

 まだまだ考えておくべき事項はたくさんあるとは思いますが、今のところ「星が見える家に住みたい」というキーワードで思い浮かんだのはこんな感じです。子供の戯言は吐けるうちに。
 将来の目標、それも今までで一番現実的かもしれない(それ以上に雲を掴むような理想なら何度も抱きました。夢想家です)ものを持ちました。夢を持つには遅いのかもしれませんが。私が「104」を目指したのは正直焦りでした。自分が好きなものを詰め合わせて自分の生き方を模索するという意味では同じなのですが、後半は「自分で決めたこともできないクズめ」という気持ちで追い討ちをかけてギリギリ目標の日に完成させたようなものでした。でも今日見つけた目標はいつまでという目標を設けなくてもいい、というより目標を叶えるには時間がかかっているのがわかっている分安心してゆっくり目指せます。お仕事にも長期的な目標があった方がモチベーションは上がるとおもいました。
 衣装はデザインが決まったら素材揃えて作ればいいのですからやろうと思えば時間もかかりません。だからこそ目標決めないと諦めたり忘れたりする。その点住む家の目標だったら要求と現実をすり合わせてじっくり考えることができる分融通が効く。今日はいい発見をしました。

 あとは具体的にどこに住むか。南の島というのもいいですし、森の入り口というのもいい。星と一緒に何を楽しもう、といったところです。

 以上、今回は「私」がお送りいたしました。夢に気づけた縁と記憶に感謝を。

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