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「感情労働が必要ない女」とは

近年の男性向けコンテンツのヒロインの特徴を総括すると「感情労働が必要ない女」となるらしい。かなり共感を得る視点のようだが、初見で感情労働という語がここでなにを意味するのか全く分からなかった。私が今まで聞いた中で言うと「恋愛するなら女、結婚するなら男」に近い気がする。男性向けコンテンツとかヒロインという語はまもなく注釈が必要な語になるだろうが割愛。

感情労働とは

文脈関係なくこの四文字をみて思い浮かぶのは「泣き女」である。かつて東アジアで広く見られたらしい、生前交流のなかった故人の葬式に出向いて人一倍大きな声で慟哭し、喪主や遺族から対価を得るという仕事。感情はうれしいとかかなしいのことだろうし、労働は時間や手間や材料の持ち出しに対して見返りを得ることだろうから、そんなに間違った連想ではない気がする。ただ翻訳元らしいemotional laborはちょっと違って、

”肉体や頭脳だけでなく「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要」である労働を意味する”、"旅客機の客室乗務員が典型とされていたが…看護師などの医療職、介護士…ヘルプデスク…苦情処理…セックスワーカー、秘書、受付係、電話オペレーター…も感情労働に該当する。" -Wikipedia「感情労働」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%83%85%E5%8A%B4%E5%83%8D#:~:text=%E6%84%9F%E6%83%85%E5%8A%B4%E5%83%8D%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%A9%E3%81%86,%E3%81%82%E3%82%8B%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82

とのこと。最近ではケアと雑に呼ばれる職能を指すようだ。

しかしこの理解では、2人の人間にとって感情労働の努力がもっと必要なのか、あるいはすでに十分なのかという物差しが、親密さを説明するうえでなんの役に立つのか、なにがそんなにうれしいのかいまいちわからない。ストーリーの要素として秘密の暴露とか罪の共有と同じ棚に入れてみたいんだけどちょっと大きさが合わないぞ、となる。小分けにしてしまおう。

感情労働はコミュニケーションコスト

どうやら感情労働とは共感のローコンテクスト化にかかるコストと置き換えられるらしい。なるほど、それならばグローバル/ローカル論で散々みてきた話だ。

磯野波平が「アレ」といってフネが「ハイハイ」と爪切りを差し出すのがハイコンテクストな状態。コンテクストは文脈。家庭という閉じた環境で長年の経験により文脈が省略されて意思伝達が高速化されている。当人同士は阿吽の呼吸で暗にお互いを察し合うが、外から見れば理解不能な会話である。対してローコンテクストな磯野家は「私の体の基幹である胴の上部左右から一対生える腕という運動器官の末端にある指という計10本の細長い部位の先端を覆う爪とよばれる薄くかたい表皮組織の一部が伸長して生活に支障をきたすので余剰分を鋭利な刃物で切断する必要があります。フネさんは鋭利な刃物の所在を知っていますか?」と波平が聞くのに対してフネが「波平さんの爪が伸びたんですね。では鋭利な刃物とは喩えば、刃に折れ目がついており、切れなくなった先端を折り取れば新品同様の切れ味を取り戻す折る刃式交換ナイフ、通称カッターナイフのことですか?」と返す状態である。文字数を稼ごうとして水のごとく薄くなったレポートみたいだ。

喩えをスポーツに置き換えると、長年練習を重ねてきたチームメイトとのパス回しやキャッチボールは無意識にすることができる、それをしながら頭では仲間のコンディションや対戦相手の戦略をどうハメるかといったメタなことを考えられる、これがハイコンテクストな状態。しかしそれだけでは練習機会の限られた代表選手として世界で活躍できないぞ、全く対戦したことのない外国の選手には通用しないぞ、パスとはなにかトラップとはなにかもう一度考えて説明してみろ、というのがグローバル/ローカル論争でいわれていた話である。グローバル化とは英語が話せることではなくローコンテクスト化なのだ。日常では説明不要の自明(と思われている)な理論も基礎から理解しなおさなければいけない。もしも結婚相手の国に「爪」「爪切り」という言葉がなかったら、国際結婚した波平とフネの日常会話はさっきみたいな感じだろう。長い上に恐ろしくどうでもいい喩え話だ。

共感のローコンテクスト化にかかるコストとは

近年ゲーマーは最強、安定という意味で現環境という言葉を使う。個の強さ即ち集団に占める数の多寡は相互的に決まる、浮動しがちな環境に選択される、というダーウィンとメイナードスミスが聞いたら抱き合って泣いて喜びそうな用語だ。パラメータ調整ひとつでゲームバランスが大きく変わるほど突き詰めてゲームやっててえらい。

外向的で誰とでも仲良くなれると思われている人も、実は特定の仲間と約束事のパス回しみたいな会話をしているだけで、環境が変わるとちいかわになってしまう、とSNSで話題になる。メッシに野球をさせるなと聞くと、さすがにメッシはすぐ野球上手くなるよ多分と思うが。

どうやらこの、普段仲間内では無意識にできるパス回しが、突然体格や経験年数の違う相手とゆっくり様子を見て声を掛け合いながらしないといけなくなる場合。ローコンテクストな状態に意識して切り替えなければいけない時。そのズレ、制約といってもいい、の加減を感情労働と呼ぶらしい。普段より制約が大きいほど感情労働、コストが増える。

ローコンテクストな会話では、リターンである共感を得るために「誕生日というお祝いの日だから、私はうれしい」「とても大切な女性ともうあえないから、きっと彼はかなしい」とたびたび感情を引き起こす条件と結果を示すコストを払わなければいけないだろう。逆に文脈を共有してる場合は「今日3/26じゃん?」「振られたばっかだからさ」と条件だけ伝えればいいし、なんならそれさえ伝えず「アレじゃん?」でもいい。もし、その伝えなくてもいい状態がずっと続くならほぼリターンだけが得られる究極のコストカットだ。そういったヒロインが昨今の男性向けコンテンツには多いのだろう。ん?磯野フネの話?

ディスカッション

1)地球上に爪が生えているのが磯野波平ただひとりだったら、彼は爪切りを探す度に末端を覆う爪という薄くかたい組織について他者に説明しなければならない。だけど同じ相手に説明を繰り返せばやはり最終的に「アレ」「ハイハイ」となる。現実世界の人間関係もよほど流動的でなければそうなる。いや、まず爪切りを同じ場所にしまえ。

だから波平が「アレ」といってフネが「ハイ?」「なんですかその気味の悪い末端の薄くかたい組織は」と答えるような物語を我々は非現実の世界に求めるのではないか。

2)そもそも完璧にローコンテクストが当たり前の環境(ただし摩擦はないものとする、のような机上の前提)では別の意味でコミュニケーションのズレはなくなる。これでは物語、というかコストは生まれない。ハイコンテクストから別のハイコンテクストへ流入した際の共感のローコンテクスト化、そのコストがおいしいんですよね!!?感情労働完璧に理解した。

補足
画像には2013グッドデザイン賞 株式会社グリーンベル スリムニッパー爪切りを拝借した。


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