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HSC不登校の記録 その1~不登校の始まり~

自分の子どもが敏感で慎重だな、共感力が強くて優しいなと感じている
お父さん、お母さんへ

小学校を卒業したばかりの長男。HSC(Highly Sensitive Child=人一倍敏感な子ども)で不登校児です。

でも、我が家は明るいです。それは、たくさんの人の助けがあり、ご縁があり、情報があり、母親である私が滅入ることなく過ごせているのがキーだと最近感じています。なぜ私が滅入らなかったか。

①夫が不登校に関して、受け入れるタイプだった。
②不登校の親とつながって話しを聞いたら状況が似ていて、うちだけでないと分かり、気が楽になった。
③たまたま似たケースの不登校のお母さんから話しを聞けて、不登校の理由が分かった(うちの場合はHSC)

①に関しては、私にはどうすることもできませんが、②③に関しては一事例として知って頂くとラクになるお父さん、お母さんがいるんじゃないかな、という思いから、長男の不登校日記を書くことにしました。

私は2ヵ月前に友人とランチを食べて直接語ってもらったことがきっかけで、ぐっとラクになりました。その時の雰囲気で、皆さんにお話ししていきますね。

<不登校の始まり>※体調面での変化が出だす
小3の6月に初めて喘息が出て、病院にかかるようになった。
その後、朝、頭が痛いとかお腹が痛いとか、不調になって学校をたまに休むことがでてきた。学童保育も小3になって一度も行かなくなって辞めた。でも、スイミングで早く卒業したいからといって、秋口に自分の意思で週1から週2に一時的に変更するなど、エネルギーが出せる場面もあった。

小4でも同様の状態が続いた。たまに朝、体調不要で学校をお休みする。学校のバス遠足はお休みした。がんばって遠足係を引き受けていたけど。3学期に連続で休みがちになった時に、担任の先生と電話で話しをしてまた学校に行き出した。

小5でも同様の状態が続いた。たまに学校をお休みする。コロナで学校が休校になった後、生活のリズムが戻るのに時間がかかった。レイクスクールという宿泊行事には無事行けた。クラスの友達と仲良く帰ってくる姿も見受けられた。

小6で最初の1カ月は、マンションの1年生と一緒に登校することになっていて、その責任感か学校を休むことは無かった。6月の終わり頃、クラスの友達と放課後自転車で校区外に遊びに行くなど、今までになく活発な動きをしていると思っていたら、7月に急に学校に行けなくなった。最初の1週間は何もできず、ひたすら寝ていた。その後、少しzoomをつないで授業を聞くようになった。それから卒業まで、学校で授業を受けることは一度も無かった。

学校の担任の先生から小6の夏休みに入る前に、市の教育相談室のチラシを受け取った。電話をして、8月から月1で母親の私がカウンセリングを受けるようになった。とにかくあることを全部洗いざらい話して、すっきりして、必要な情報をもらって帰る。そこで、子どものことを話すと、「今はエネルギーをためている」「エネルギーがたまったら動き出すから、本人がつかむかもしれないニンジンをつるすといい」と言われ、家族でお出かけとか(これは乗ってくる)、図書館に行こうと誘ったり(これは一度も載って来なかった)アプローチを続けたが大きな変化はなった。

家での様子は、母親の私が、子どもが家にいるのが必要なこと、必要な時間、と認識し、子どもを学校に無理に行かせないようになったことで、本人の表情は穏やかになっていった。朝から学校へいくプレッシャーが無くなったせいか、朝の体調不良は起こらなくなった。Zoomで学校の授業をつないで頂き、それはある程度心の居場所になっているように感じた。でも、勉強はあまりオンラインではできているようには感じなかった。
(HSC不登校の記録 その2へつづく)

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