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指輪と私。自分のためのファッションが自分を成長させてくれる

 あれは5月末のことだったから、今からちょうど5年前のことだ。
 今働いている企業の最終面接の帰り。ふらっと池袋に寄って、初めてピンキーリングを買った。(ちなみにマルイはこの8月に閉館になるらしい、少しさびしい。)

 私は高校の部活の合宿代や大学受験の受験料すらまともに工面できないような貧乏家庭で育ったから、大学時代は自分でアルバイトしつつも運転免許や海外旅行のほうを優先し、服やアクセサリーを買う基準は欲しい物ではなく必要なもの・安いものだったと思う。外食も一人だともったいなく思えて、友達と一緒の時以外はファストフード店で食べていた。就活においても奨学金返済や父の膨大な借金のことを考え、自分は一生働き続けなければならないと肝に銘じ、安定した企業を選んだ。
 そんな私が初めて、自分のためだけに、1万数千円する指輪を買ったのだ。
 当時は恋愛がうまくいかなくて悩んでいた時期でもあったろうか、小指につけるピンキーリングは幸福を運んでくれると聞いて、自分の気に入った指輪をつけたいと思い、普段は石と値段の輝きで目を当てられないジュエリーコーナーに足を運んだ。とはいってもなるべく安いものを選んだ。たしか通常3万円のものが半額くらいになったものだったかと思う。ピンキーリングでは唯一その指輪だけが値下げされていたのだが、おそらく値下げしてくれていなかったら、私は指輪の値段に恐れおののいて一つも買わずに帰っていたと思う。最終面接が通っていますようにという験担ぎと、これから社会人としてしっかり稼ぐぞという心意気によって、内心びびりながらもレジで支払いをした。結局面接は通って内定がとれたのだが、あの時今の会社で働くことになるだろうという謎の確信があったのを覚えている。
 買ったあとは机の上でしばらくつけたり外したりしながら眺め、自分はこの指輪が似合うような人になれるのだろうか、いやなるのだ、と言い聞かせていた。

 私は手が小さいのでその指輪は3号のサイズだったのだが、手がむくんでいない日は少し隙間ができてしまい、落としてしまわないか心配だった。どこかにぶつけて石がなくなるのも怖かったし、夏には汗をかいてベタベタしてしまうのも嫌だった。それで大事なお出かけの日や心に余裕がある日だけ指輪をつけていくようになった。
 他の指輪もそのうち買うだろうと思っていたけれど、実家に23万円のエアコンを購入したり、父親に数百万円貸したり(おそらく二度と返ってこない)、学生時代のころ以上に海外旅行に行ったりするくせに、時々300円ショップやハンドメイド店で安いピアスを買うくらいであまりアクセサリーを買うことはなかった。

 こんなふうに、自分のためにお金を使う・贅沢をすることに抵抗があり、家族のためや自分の経験のためにお金を使うことが多かった私だが、価値観が大きく変わった。
 社会人4年目の夏、コロナ禍で自由に旅行ができなくなったことや、仕事がハードになったこと、付き合っていた人と別れたことなどから、自分の未来が見えなくなり、何のために働いているのかわからなくなった。ありがたいことに貯金は増えるが、使い道が浮かばない。両親の介護・自分の老後に残してもよいが、遠すぎてやる気が沸かない。というか何のために生きているかわからない、ああそうか、死ぬ勇気がないだけで私はいつ死んでもいいと思ってるんだな、ならば収入が減ろうとももっと楽な仕事に移ったほうがいいのではないか、、と。元々誰かのためになることが好きで、家族や恋人など愛情を注ぐ相手がいないと頑張れないという自分の性格が悪さをし、自分を大切にしてこなかったのだと思う。
 唯一やってみようかと思えたのが、一人暮らしだった。それまでは母が寂しがることや、あえてお金をかけてするのがもったいないということから、ずっと踏み切れずにいた。しかし、自分がふさぎ込んでいる状態で両親の毎日の喧嘩を耳にしてフォローしたり、自分の身の丈と異なる生活に合わせたりするストレスにこれ以上耐えられそうになかった。
 こうして始めた一人暮らしの中で、自分が今までどれだけ家族の価値観に縛られて不自由な世界で生きてきたのか思い知ることになった。(一人暮らしをして親のありがたみがわかったという人も多いが、私はストレスからの開放感が多いからか、残念ながら今のところその場面はない。)

 一人暮らしの部屋を作る中で、せっかくなら自分のお気に入りのものを揃えようと、家具やインテリアにこだわった。それは自分が思っていた以上に大切なことだった。自分が好きなもの、お気に入りのもの、いいなと思うものをいつも目に触れられるところに飾っておくと、気分が上がる。実家に住んでいたころは部屋が狭く、お気に入りの服もしまい込んだまま出せなくなり、挙げ句は存在すら忘れてしまっていたけれど、それではもったいない。仮に着ていかなかったとしても、飾っているだけで価値が得られるのだ。
 そう思うと、今まで実用的でないからと買うのを控えていた洋服や帽子もどんどん買えるようになった。友人の中でも共感してくれる人は多くはないが、いくら血がつながってはいても、親と自分の身の丈は違う。貧しい生活をする両親への後ろめたさを感じることなくお金を使えることに大きな幸せと自由を感じた。と同時に、自分に似合うだろうか、年齢的におかしいだろうかと他人の目を気にして買わなかった洋服も買えるようになった。特にコロナ禍で外出できない昨今、家の中で誰の目も気にせずに着たい服を着るというのもなかなか良いと思う。女性なら服・アクセサリーが代表格だが、男性なら時計や靴なのかもしれない。ファッションはTPOも大事だが、むしろ室内や一人でのお出かけの時にこそ、TPOや人の目を気にせず好きなものを身につけられる。
 とある本にこんなことが書かれていた。「自分にとって一番大事で、一番長く一緒にいるのは自分ですよね。今日は人に会わないからといってどうでもいい服を着るのでなく、毎日お気に入りの服を着て自分を喜ばせてあげてください。」

 そして先日、お気に入りのハンドメイド店でかわいい指輪に出会った。2万5000円とかなり高く思えたが、作家さんと会話する中で指輪作りへの思いに触れ、買うことを決意した。自分がいいと思うものを買うことでその売りてを応援できるという投資のような感覚も、実家住みのころにはなかった金銭感覚だ。何より、シンプルで洗練されたデザインながらほどよい丸みと光沢があり、石の色もはちみつ色で、私の新生活が楽しくなりそうだと感じることができた。
 初めて自分の指のサイズを計測し、それに合わせた指輪を作って後日送ってもらうことになった。今回は人差し指。今までお店で指輪を見たりしても大抵ぶかぶかで買う気が起きなかったが、自分の指のサイズに合わせてもらえたらそんなこともないかもしれない、と思った。

 1ヶ月半ほどして、届いた指輪をつけると、きちんとフィットした。自分の指から離れてしまうかもという不安もないので、お出かけのお供になった。服もそうなのかもしれないが、きちんと自分のサイズに合ったものを選ぶのはとても大切だ。貧乏性だから今までは長持ちすることや安いことを優先して、多少サイズが合わなくても我慢してしまっていたけれど、それってそんなに大事なことだったんだと気づいた。
 それをきっかけに今まで全然興味のなかった指輪の世界に興味を持ち、自分に合った気に入った指輪を探してこまめに買うようになった。使われている石もそうだが、枠のデザイン・形や色によっても雰囲気が大きく変わる。指輪のイメージと自分がぴったりするものもあれば、少し背伸びかな、逆に子どもっぽいかなあと思うものもあるが、全部自分だ、と理解して買えるようになった。

 コロナ禍でお出かけの機会も減りご無沙汰していたが、5年前に買った指輪を久々につけてみた。しげしげと見つめていると、就活中の自分の決意が蘇る。と同時に、当時は背伸びのように思えた指輪が、今や自分にしっくりくることに気づいた。この指輪が未来に導き、自分を成長させてくれたように思うし、また次のステージに進む頃なのだなと気付かされた。 
 もったいないと思わずに、普段のお買い物からつけていくようにしよう。新しい指輪たちとともに。

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