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別居がもたらした困難、憂鬱

このnoteの方針として、「大人の発達障害(ASDとADHD両方の特性がある)」と思われる夫と私の間で起きたことのうち、もう十分”過去”になって冷静に分析できたことだけ書いていくつもりでした。その方が、同じようなことで悩んでいる方の参考になると思ったからです。

ですがたまには、全然整理のついていない今のことを。苦しい状況も過ぎ去ってしまえばマイルドな思い出になっていくのが常。自分の記録のためにも揺れ動く気持ちをここに書き留めてみます。

「一緒にいるのに孤独」はなくなった

別居を始めた理由は、「夫と一緒にいると孤独を感じるから、新たな夫婦の形をつくろうとしています」に書いたとおり、それが私たち家族にとってより良い形になると思ったからです。

私は、「一緒にいるのに、なんで…」というイライラや孤独感を感じなくてすむようになる。

夫は、「一人になりたい」という根源的な欲求が満たされ、一緒に暮らしていて感じる「家族のために動かなきゃ」というプレッシャーからも開放される。

これが別居によって”直接的にもたらされるメリット”で、その結果ふたりとも精神的な余裕ができれば、一緒に暮らしているときよりもお互いに対して優しくなれるのでは、という期待を持っていました。

「そうそう、こういう人だったね」…学習しない自分にガックリ

この”直接的にもたらされるメリット”というのは、実際に別居してみて大いに感じることができました。たぶん夫も、そうだと思います。

だから別居を始めたこと自体は後悔していないのですが、今は事前に予想していなかったことにかなり疲弊しています。と同時に「学習しない自分」にガックリきています。

「特性を感じるエピソード(単身赴任中)」に、

新たな困りごとというよりも、「そうそう、こういう人だったね……」と再認識したのが、「とにかく連絡が取れない」問題。遠距離恋愛中もそうでした。

と書いてますが、また今回もこれを痛感させられているのす。

とにかく連絡が取れない。

連絡を取ろうとするのは最低限必要なときだけですが、それにすら全く反応がない(LINEはスルー、電話も出ない)ので困るんです。

「必要最低限」とはどんなことかというと、子どもとのコミュニケーション、家族で会うためのスケジュール調整など。

別居を始める前に、
 1.子どもとは月に1度以上対面で会う機会をつくる
 2.子どもが望めばビデオ通話などもする
 3.月に1度は夫婦で話し合う時間を取る
といったルールを箇条書きにし、その紙を見せて読み上げながら「これでいい?」と確認をしました。夫は「うん」とうなずいたけれど、今ではこれらのルールを全部無視です。

別居を始めて最初の2週間くらいは、2についてはがんばって応えようとしてくれていました。それがひと月めの後半からはこちらから電話をかけても出なくなり、その後は月に1,2度反応があるかどうか、という状態。

子どもも最初は「パパに電話しよう」としょっちゅう言っていましたが、最近はだいぶあきらめているよう。でもパパと話したい気持ちは変わらずあるので、とてもかわいそうです。

怒っても進展しない。じゃあ、どうすればいいの?

そんな夫に対して、「ルールを破ってる」とか、もっと単純に「無視するな」とか、怒りや不満をぶつけたい気持ちはあります。

ですがそれをすると、相手はますます殻に閉じこもるか逃げの姿勢になり、結局は無反応。いったいどうすればいいのか道が見えない、というのが今の私の状態です。

怒っているとは思われないよう、できるだけやわらかい言葉で問いかけてみたり、「こちらのスケジュールが決まらなくて困るから連絡をしてほしい」と、なるべく論理的に説明したりしてみても、やっぱりなんにも反応がない、私の独り相撲。「あれ、彼って実在しない人だったかな」なんて思っちゃいます。

もはや情緒的な交流は求めていないと気づいた

私が夫と連絡が取れなくて困っているのは、ほとんど子どもに関することです。

夫が子どもとコミュニケーションを取ろうとしないことで、子どもが「自分は愛されていない」と感じたらどうしよう、というのが私の一番の心配です。

別居をして、私は夫にそれ以外のことは求めていないということがクリアになりました。子どものことがなければ、私自身は彼と連絡をとってなくても全く寂しくもないのです。

カサンドラ症候群は「アスペルガー症候群のパートナーと情緒的な相互関係が築けないために生じる身体的・精神的症状」と説明されていますが、そういう意味では、私は夫と「情緒的な相互関係」は全く求めていないので、カサンドラ症候群は回避できているのだと思います(あくまで、別居していればです。同居のときは「眼の前にいるのに無視されている」という感覚で辛くなります)。

それって、夫のことを「男性として」愛していないということだな、と思います。

以前に「夫は本当にやっかいな人だけど、嫌いにはなれない」「不幸になってほしくない」と書いた、その思いは変わっていません。

でも、「必要最低限」の連絡を取るのにあの手この手で工夫して、それも効果がないことがほとんどという状況があまりにも虚しく面倒で、何もかも投げ出したくなっています。

感情に任せて「あなたは私と子どもと関わることさえ、面倒なのね。離婚して楽になりたいんじゃない?」という言葉をぶつけたくなります。

そうしたら夫はきっと「そうかもしれない」「その方がいいのかも」みたいな、あくまで自分の意志ではなく「ナルミがそう言うなら」といった態度で私の言うことを肯定するでしょう。

そうやって私がアクションすることでしか、私たち夫婦の関係は動いていかないということに孤独を感じるし、「彼の本当の気持ちを知らないままにことを進めていいのだろうか」と迷うのです。

本当の気持ちなんて、夫自身がわかっていないのだろうし、私が気にすることではないのかもしれませんが、やっぱりスッキリしません。

何より、子どもにとってはまだまだパパの存在が大きいようで、こんな状態でも毎日普通に「パパと○○に行ったとき…」「こういうとき、パパだったらこうするよね」みたいな話をするんです。その様子を見ていると、今すぐ離婚というのは子どもの心の負担が大きすぎる。もう少しがんばらなきゃいけないな、と思うのです。同居のときとは違う種類の、孤独な戦いが続きそうです。

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