1人で出た思考の旅は、まさかのリーダーとして大いに学び成長する機会となった話
「愛食」って結局なんなんだろう。
言葉を産み出しておいて、その定義をふわっとさせたまま進んできた。
そしてそこと向き合うことが必要なんだと気づいた。
そうして始めた、愛食の言語化思考の旅。
振り返ると旅の始まりは4ヶ月前だ。
そんな旅に終わりを迎えた。
綺麗に整理した結論はオウンドメディアの方に載せたのでここでは私自身の学びについて、たくさんあったもののうち、いくつかをふれてみたいと思う。意外と、リーダー論を学んだ機会になったの。
1人で気負うな
定義を探す旅に当初は1人で出た。
でも今は描くビジョンを「一緒に叶えたいよ〜」と言ってくれる仲間がいて、思考することも「一緒にやりたい」と言ってくれる人がいた。
このことをありがたいことに周りに何度も、
何度も言っていただいていたのに、私は容易にその声を忘れてきた。
いや、うそ。
忘れてきたのではない。
理解したからこそ、大きな責任として、自分がやらなきゃと気負っていたところがあったと思う。嬉しい声を重圧に変えていたのは自分自身だ。
降り出しの、コアは自分がやらなければいけない。
そう思い込んできた。
でも、違った。
降り出しの、コアのものこそみんなでいけ。
そこから頼ることは全然悪いことじゃないし、
むしろだからこそ出せる成果がある。
築けるより深い絆がある。
生まれる仲間の役割もある。
仲間と進む選択を学んだこと。それはものすごい大きな収穫だ。
おかげでこの後もaiyueyoのブランド方針、来年の予算の使い方など、大きなものほど仲間を呼ぶ、という選択を始めることができた。自分として大きく変われたことだなぁと思う。
全肯定が正解じゃない
そうして関わりたいと言ってくれるみんなで愛食と向き合うプロジェクトを始めた。
言葉の定義をしてこなかったから、案の定「愛食」という言葉にふれてきてくれた仲間たちの間でもその認識にはだいぶ幅があった。
いただいたみんなの意見は、なるべく慮りたい。
そんな思いが参加メンバーの中でも芽生えていく。
話し合いでは「みんなの意見をすべて取り込んだ最終アウトプットにしよう」という方向性が浮上した。
みんな、すごく優しいのだ。
わたしも巻き込んだ責任としてみんなの向かう方向に寄り添いかけていた。
と、ふと参加者のひとりから声があがる。
その声ではっと目的に戻ることができた。
今回の愛食言語化の目的は、自分たちの活動の芯を明確にすることだ。
今このプロジェクトに参加した人誰ひとりも傷つけないことではなかった。でも気づいたら、この場にいるみんなに配慮しかけていたのだ。
みんなで決めよう、となった。
それをみんなの総意をつくることと一瞬なりかえてしまった。でも何かつくるときに、全部「いいねいいね」することが強さがでない。むしろベースの定義が強く方向性を示すからこそ、その先に「いいねいいね」の世界が広がるのだ。
リーダーの役割とは
最終的な定義に組み込まれたのは”いのち”という言葉だ。
いのちは、(今の時代では今のところ)人を選ぶ言葉だ。
そしてその言葉が今時点でメンバーから頻出して言葉ではなかった。
でも食を「いのち」として捉えることがまさに私たちの出発点だよねということをこのプロセスで確認できた。自分たちのらしさ。それはたとえ人を選ぶ言葉だったとしても削ぎ落とせないのだ。
シンプルな言葉になった。
たくさんリサーチして、話して、みんなの意見をもらった。でも最後、それを踏まえてぐっと私たちらしさを判断軸に決める。
そこにリーダーの役割があった。
もともと重圧ばかりを感じてがんじがらめで上手に動くことすらできなかった私。
それが、根幹こそ仲間に頼ること。でも意思決定の手綱な手放さないこと。
そんなリーダーの在り方を結果的に学ぶ機会をいただいた。
別にすでに”できる”からなったわけではないリーダーという役割です。
日々みんなに学ばせていただいて進んでいるなぁと実感しております。
この場を借りて感謝をお伝えさせてください。
いつもありがとう。
改めて、愛食とは、の定義ができました!
よろしければご一読いただけたら嬉しいです▼
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