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父のチャーハン

子どものころ、母が体調不良で数日寝込んだ。
起き上がれないほどの症状で、わたし自身も卵焼きやおにぎりくらいは作ったと思うが小学校もあるので数日まともな食事が摂れなかった。
父は自宅でミシン縫製をしていたのでいつも家にいた。
父はとうとう引きつった顔をして台所に立ち、冷蔵庫をゴソゴソし、野菜などを切り始めた。
結構早い時間から取り掛かったのに相当時間がかかっていた。
何を作っているのかわからなかったが、しばらくして、ごはん、と声をかけてきた。
台所に行くとテーブルにチャーハンらしきものができあがっていた。
それはそれはキレイな色とりどりの野菜がたくさん入っていて、いつも母が作る、やっつけ仕事みたいなご飯の塊などない、丁寧に炒められたとてもおいしそうなチャーハンだった。
父にこんな事が出来たのか!と驚きだった。
男子厨房に入らず、というより、できれば近寄りたくない、という感じで母の作ったものを食べている姿しか見たことがなく、食べてしまえばさっさと作業所に戻っていく。
チャーハンはパラパラに炒められ、ご飯の一粒ずつが彩りのよい野菜と品よく盛り付けられていた。
久しぶりに食事らしいものが食べられる、とうれしかった。
父も隣に座っていっしょに、いただきます、と食べ始めた。
スプーンでまずひとさじ口に運んだ。

衝撃、とはこのことだ。
チャーハンじゃない!
クソまずい!
おいしそうなそのチャーハンはチャーハンではなかった。
味付けが全く無い…
隣で父が、うまいか?と聞く。
う…うん、と父を気遣ってみたものの、全部食べるのはキツかった。
父も食べ始めたが、じっと前を見つめたまま口を動かし最後まで無言だった。
みんな無言で食事を終えた。

翌日、母は回復し、またいつもの食事が食べられるようになった。
父はそれから一度も台所には立たなかった。その必要もなくなったことと自分の作ったチャーハンを食べたことが一番の原因だと思う。

その父も2年前に母の後を追って亡くなった。母が亡くなって少しの間一人暮らしになり、わたしに卵焼きの焼き方を教えてくれ、と言った。数回は焼いてみたようだが、おいしくないんだよ、料理は難しいなぁ、と寂しそうに笑った。

父の作ったチャーハン。
まったくまずいチャーハン。
ご飯がパラパラに丁寧に炒められたキレイな彩りのチャーハン。
忘れない。

忘れられない。


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