noteという特殊なCMSとサービス設計がコンテンツの形を決定づけている
CDの74分という収録時間は、カラヤンのベートーベン第九の演奏時間を目安に決まったと一部で言われている。そうしてCDが普及して「頭出し機能」が一般的になったら、最も盛り上がるサビの部分を冒頭にもってくる曲がしだいに増えていった――。
みたいな話が大好きだ。
要はコンテンツというものは、常に入れ物の形によって変化していく。サブスク全盛の時代の音楽はまた違うものになっていくだろうし、マンガはスマホの登場でコマ割りが変わってきた、みたいな話である。
でもそれってブログやnoteのようなユーザー投稿型コンテンツも同じで、管理画面(要はCMS)やサービス設計によってアウトプットがどんどん変わってくる。
最近livedoor Blogからnoteに移転したが、使い勝手の微妙な差が、アウトプットに深く影響してきていると感じる。
livedoor Blogのときは写真を一度にたくさんアップロードできたので、30枚くらいまとめてアップして、そこに説明文を書き込んでいくスタイルで更新していた。
見返してみると、こういう記事が多い。
たぶん、こうした作り方を好んでいたというより、CMSの設計上やりやすかったから生まれたものだったと思う。
じゃあnoteはどんなところに特徴があるかと言うと、挙げようとすればたくさんあるが、一番わかり易いところはまずnote自体のタイトルを決めないところ。
これだけでだいぶ違うし、じつはこれが大きい。
note自体のタイトルを決めないため、アカウント名がそのままnoteのタイトルになる。だから自然と自分の名前=noteタイトルになる人が多い。このnoteの名前は「Atsuyoshi Narumi|note」である。
するとどうなるか。自分の名前が冠されていると、自分の言葉で語るようになるし、自分の気持を正直に語るようになる。Tips集とか、どこかにあったものをまとめるという形式よりも、自分の中から湧き出てきたものを表現するようになる。
嘘は書かなくなるだろうし、誇張もなくなる。他の人のnoteを見ていても、率直でストレートな見出しが並ぶのがわかる。これはブログ名を決めないところから来ている特色でもあると思う。
ただこれはネガティブな結果を招くこともあって、率直に語りすぎて思わぬ批判を生んだ記事もいくつか見てきた。「なんであのひとがあんなことを書いたんだろう?」と思ってみていたが、使ってみてだんだんわかってきた。良くも悪くもCMSの特性が関係している。
あとは、noteはテキスト編集画面では写真を1枚ずつしかアップできない。そうなるとたくさんアップするのは面倒なので、テキスト記事ではあまり写真を載せず、その分テキストをたくさん打つようになる。
画像をたくさん使いたかったら、画像の編集画面を使えばいい。テキストを選んだからにはテキストを打ってもらうぞ、という意思を感じる。
だからこうしてパチパチとテキストを打っている。編集画面のスクショでも挿絵的に入れておこうかと思ったが面倒なのでやっていない。それはつまり、やらなくていいよ、とCMSに暗に言われているのだ。
そしてこのシンプルな閲覧画面。メディア企業が公式サイトとして採用しているくらいなので、文字が読みやすい。ここは個人のnoteだけど、今後は人へのインタビュー記事なんかもやってみたくなる。
CMSが変わるとコンテンツの中身も変わる。
noteをコツコツと書き溜めていくと、これまでとは毛色の違ったものが揃っていきそうで、そこが自分でもまったく想像できないから楽しいのかもしれない。