『キングダム』の映画と漫画の違いを考えてみた。
こんばんは。なるぴーです。
スマホゲーム業界で企画をつくったり、プロットを書いています、
と言いながら実際は調整業務が増えてきました。調整さんと呼んでください。
さて、5/29の金曜ロードショーでは『キングダム』が放映されました。
当時、映画館で観ましたが、仕事を切り上げて改めて観てみました。
ここでは、映画と漫画の違いに触れながら、なぜそうなのか?を考えてみます。
※本編は映画のネタバレを含みます。閲覧される方はご注意ください。
映画版と漫画版の変更点
大きな部分は、序盤と終盤のエピソードです。
・序盤:幼少期の信が、王騎将軍と出会う
・終盤:成蟜と決着するシーンのボスが、ランカイから左慈になっている
なぜ、変更しているのか?
これは、映画というメディアと、週刊誌の連載マンガというメディアの違いであると考えます。
それぞれのメディアの特性による違いをみていきましょう。
■映画
Product / 商品性
・受動的なメディア(一方的に情報が伝達される)
・1回の視聴時間は90-120分程度
Price / 価格
・1本見るのに、1900円くらい
Place / 場所, 流通
・映画館にいくという意図的な行動が必要
■週刊誌の連載マンガ
Product / 商品性
・能動的なメディア(自分でページをめくる)
・1回の視聴時間は3-5分程度
Price / 価格
・1冊買うのに、300円くらい
Place / 場所, 流通
・コンビニや本屋といった日常の生活圏内で購入できる
映画は、マンガと比較した時に、値段も高いし、時間もかかる。
しかも、映画館という場所へ赴き、なぜか500円もするポップコーンを買ってしまう非日常性もある。
前置きが長くなりました。
つまり、キングダムという映画では、
「信という親友を失った少年が、親友と瓜二つの秦王の中華を統一するという理念に共感し、幼い頃の夢の天下の大将軍になろうとする話」を2時間で観てよかったと思える、インスタントでないエンタメに仕上げる必要があります。
どのように、変更するのか?
2時間で観てよかったと思えるような感情にするには、読後の達成感がキモ。そのためには、序盤で目標となる大将軍のイメージである王騎将軍を出す必要があった。目指すべき存在が、最初に出ない場合、ワンピースにおける、シャンクス(=憧れの海賊)に出会わないルフィとなってしまう。
※漫画の第1話の冒頭では、未来の信が大将軍になっている様が描かれており、大将軍のイメージ像をカバーしている
次に、その将軍像が信の目指すに足りうるイメージでなければならなかった。そこで、王騎将軍と対極にいる左慈が乗り越えるべき強敵として描かれた。
劇中での左慈は、
・冷徹である(信に、夢みてんじゃねぇよと一喝する)
・残酷である(山の民を一刀両断)
・狂気である(斬った相手の返り血を舐める)
と、信が想像する「天下の大将軍」とは対局にいる存在。倒すに値する存在であると描かれていました。
信は左慈を乗り越える必要があったし、倒した時の安堵感もあったように思えます。
漫画をそのまま持ってくるのではなく、映画用の脚本として再構成されているというのが学びになりました。
二部も決まったようですね。続編が楽しみです。
二部はどのあたりの時間軸か。
羌瘣、王賁、蒙恬、李牧など有名どころが出るかもしれませんね。
※カバー画像は、映画ドットコムより引用。
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