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知らない「ユミさん」

「知っているよ?だってお母さん、瀬尾まいこの本は全部読んでるもの」

もういいでしょう?と言わんばかりの調子で、これぞと思っていた話題はさっさと切り上げられてしまった。いつも話が長い人なのに。呆気にとられる。

母から「スマホのアプリについて聞きたいので、電話の時間をつくってください」とLINEがきた。50歳を過ぎてからスマホ(というか携帯電話。それまで携帯をもっていなかった)デビューした母。私に「教えてくれ」という内容が少しずつ高度になっていくのを見て、適応能力が高いなと密かに感心していた。

電話をかける。既に使っているLINEとか、ベーシックなアプリの話かと思ったら、新しいアプリを使ってみたいと言われた。〇〇をスマホでしたくて、具体的には▲▲みたいな手段でできるといいんだけど、そういうアプリない?とかなり詳細な質問。母、思ったよりもスマホを使いこなしている。

ひと通り質問をしたあと、母が映画の話を始めた。

「PERFECT DAYS」を観に行ったんだ、役所広司のやつ。カンヌ国際映画祭で受賞していたでしょう?まだやってるって知ってこれは観に行かなきゃと思ってね。

スラスラ話す母の電話越しで、娘の私は話半分な状態だった。実家は山奥の田舎町で、映画館まで車で1時間はかかる。それに両親ともに映画館で映画を観る習慣はほとんどなかったはずだ。よっぽど観たくて観に行ったんだろう。役所広司が好きだったのか?

実家を離れて8年もすると、私の知らない母がいることにはさすがに気づく。それでも大抵は「お母さん」として認識しているのだけど、この日は「ユミさん」という感じだった。

そちらが映画の話をするならと、私も「夜明けのすべて」を観に行ったと話し始める。公開したばかりだし、きっと知らないはずだと思ったのに。「ああ、上白石、なんだっけ、萌音?が出ているのでしょう?」と言われた。

図書館に置いてあったもの。お母さんは2年前か?それくらいに読んでるし。瀬尾まいこの本は多分全部読んでるよ。あれ、知らなかった?

全然知らない。家業が休業中の冬は、毎週家族で図書館に通っているのは昔からだ。母の場合、小説を中心に5冊くらいずつ借りては読んでいた。何度もページを前に戻りながら読んでいるので、なかなか読み進まないと、よくこぼしている。好きな作家、いたのか。何をきっかけに好きになったなんだろう。

私が知っている「ユミさん」は一側面のなかの、さらに一部分で、今までずっと「お母さん」な「ユミさん」と話していたんだなと思う。

近所の図書館で、瀬尾まいこの小説を探す。超有名な「そして、バトンは渡された」。なんとなく読んでいなかったけれど、読み始めたら面白い。手が止まらなくなるタイプの小説だ。

そうか、ユミさんは私より先に、瀬尾まいこの物語がいかに面白いか知っていたのか。一人の女性として母を捉えると、先手をとられたのが悔しいような、同じ作品をいいと思っていることが嬉しいような気持ちになった。

ニヤリとしそうな口元をおさえ、家へ帰る。「そして、バトンは渡された」は一気に読んだ。


20240217 Written by NARUKURU


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