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親と子育て(1)

アウトライン

気づいたら親になって6年目、
僕が想像していた「親」のイメージとは
かけ離れている気がする。
それはそれでまぁ無理はしてないからいいか。
と最近思っている。

そもそもイメージした通りの子育てなんか
きっと面白くないだろうな。
想像つかないからしんどい時もあるし
面白いこともある。
絶望も希望も一緒くたになってるから
ワクワクするんだろう。
味わうとはこういうことなんだろう。

つどいの広場お面ワークショップ2


かれこれ6,7年子どもに関わる分野に
携わってきた。
ワークショップしたり
短時間子どもと接するのは好き。

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子どもと長時間いると彼らに触発されて、
僕は先生や親としてのスタンスではなく、
子どもに還ってしまう。

早く絵描きたいなーとかふとした瞬間思う。
楽しんだけどね。

家庭内の場合、

「よしよし、なんでも受け止めて進ぜよう」

的な菩薩モードから

「僕は僕でやりたいことがある!」

みたいな子どもモードへ
突如変わったりする。
要するに飽きるんだろう。

子どもに圧倒されて、そして疲れちゃう。
僕は短期・単発型なんだと思う。

どちらかというと、遠くから声がしてくるのを
見守ったり聞いてるぐらいがちょうどいい。

もちろん、遊びたい時は一緒に遊ぶ。
子どもが拒否したら諦める。それはしょうがない。
彼は彼でやりたいことがあるんだから。
子どもだけでなく、自分とそれ以外は
それぞれの呼吸やタイミングがある。

同じことをするというより、
「何があっても、同じ空間にいること」のほうが
僕は重要だと思っている。

個体は別だけど同じ森には住んでいる。
みたいな感覚だ。

下の写真は2歳の時に
息子とぐちゃぐちゃに描いた絵を
切り貼りして作ったもの。
額に入れたり、
形を整えると面白い見え方になる。

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親というものがいったい何なのか、
どうあるべきなのかは
やりながら掴んでいっているから
正直今でもわからない。

多分死ぬまでわからないものだと思う。
わからなくてもいいとすら思う。

ただ、そうした答えのない
繰り返しの営みは、
どの家庭にも多少なり問いというか
ストレスがかかると思う。
(各々のストレスのかかり方、特性もある)

だから、他の家庭を見て
「ああ、うまくやってるなぁ」
って比べて落ち込むのは
もったいない。

自分に問いかけて
できる限り自分の感覚に
正直に他の人と交わっていく
そういう生き方をしていったほうが
僕の場合は楽しい。
駆け引きしなくていい
何より気持ちに嘘をつかなくていい。

どれだけ子どもと絵を描いたって、
どれだけ子どものことを体感したって、
それは部分的なもので全体はわからない。

自分のことで精一杯で、
子どもに対して
そんなに頑張れないし頑張りたくない。

子どもにとって親は一部であって
全てではない。

第三者の人間や言葉と交わって
子どもは育ってほしい。

今は表立って頼ることが難しかったり、
自粛、制限という個人(小さい単位)への
経済的・体力的・精神的な負荷が
かかっていると思います。

僕はもっと感覚的に
生きていきたい。子育てもそう。
個で我慢や抑圧を受け入れるより
共に自由をつくっていきたい。
もっと甘えられる社会になればいいと思う。

子どもを産み、育てることは
本当に尊くて難しくて面白い。

僕は自治体や団体そして国へと
子育て支援、虐待予防の分野で活動しています。

◆活動応援特設サイト(NPO法人ひだまりの丘)
https://terrace.narukawa-shingo.work

◆子はたからプロジェクト
http://kowatakara.com


その分野で活動している僕が
表裏もなく
親としてではなく
支援者としてではなく
人間として
ありのまま
生きていきたいという願いが
誰かの願いになったり
支えにならないだろうか。

とささやかだけど思っている。

サポートを糧にもっと面白く楽しくなるような創作や活動に変えていきます!(子育て支援・児童虐待予防、子どもに関わる分野での活動資金やえほんなど創作活動に当てていきます。)