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嫌われた瞬間の原風景

 みなさんは「あ、今この人に嫌われた」というような瞬間を経験したことはありますか?私は子どもの頃に「あ、今この人に嫌われた」と思った瞬間を未だに覚えています。

 それは小学校低学年の時でした。同級生の友達と近所の公園で遊んでいて、その友達が忘れ物を取りに行くとかの用事で、家に帰りました。公園の近くの家だったので私も家までついていきました。友達は「絶対に俺の部屋に入らんといてね!」と言って家の中に入っていきました。私が玄関でその友達を待っていたら、その友達の妹ちゃんが私の手を引いて「部屋に来て遊んで~」と言って来ました。その時私が何を考えていたか思い出せませんが、その妹ちゃんに手を引かれるままに部屋に入っていきました。その部屋は友達とその妹ちゃんの二人の相部屋だったので、私は友達の部屋に入ってしまい、「絶対に俺の部屋に入らんといてね!」と言われた約束を破ったことになりました。
 私が部屋に入ったことを知ったその友達は激怒して私を部屋から追い出し、それ以来絶交状態となりました。私は友達が入らないでと言ったのにそれを破った形になったので後ろめたさもあり、その友達とはそれ以来口を利くこともなくなりました。
 あの激怒していた友達の顔を見たとき「あ、今この瞬間、俺はこいつに嫌われた」と思い、その出来事が強烈に印象付けられました。


 私は人から嫌われるのを怖がるところがあります。人と話をするときもなるべく相手の意見に逆らわないようにし、言葉遣いや言葉選びも相手の気に障らないように無意識に気を遣う時があります。
 人から嫌われてるな、あるいは嫌われそうだな、と思った時には、先述の子どもの頃の嫌われた瞬間の記憶が蘇る時があります。それと同時に嫌われることへの恐怖が湧きます。

 ただ、だからと言って私は「子どもの頃に友達に嫌われた出来事が原因で人から嫌われるのが怖くなった」とは思ってはいません。以前も別の記事で書きましたが、一つだけの原因から一つの結果が生まれる、と私は考えていないからです。あの出来事も(大きな)原因の一つかもしれませんが、もともとの私の気質や生育環境などの複数の原因があるから、私は人に嫌われるのを怖がっているのでしょう。

 とは言っても、子どもの頃の他の記憶はほとんど忘れているのに、嫌われたあの瞬間の出来事を今でも強烈に覚えているということは、私を強く規定する出来事であったのだと思います。
 子どもの頃の出来事が大人になった今でも強く影響するということは、この他の出来事においても多くあるのだろうなと思います。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!