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リアルの充実、noteの不充実

 最近、個人事業主を辞めてある会社に就職しました。その会社は山仕事をしている会社なので、業種自体は今までと同じなのですが、作業の種類が違うこともあり、また新しく勉強中です。
 また、その会社の社員の方々は山仕事における技術も高く、私はその方々より技術的に劣っていることが自分でもよく分かるので、他の方々に追いつくためにも日々の作業で学ぶことが多いです。
 学ぶことが多い環境というのは楽しいもので、仕事を楽しんで行えています。

 ただ、やはり新しい環境であるということもあり、最近は心身ともに疲れているのを実感します。
 心身ともに疲れてくると、家に帰ってからも何かをしようというよりも早く寝ようという気持ちになってしまいます。
 そうすると、困ったことにnoteを書くことにリソースを割くことが難しくなってきました。


 私は自分の中に生じる感情や思考を言語化するためにnoteの記事を書いています。私がnoteを書くには、まず自分の心を観て、心の状態や生じる諸々を受け止め、それを言語化する、という工程が必要になります。その工程はある程度まとまった時間が必要になります。
 最近は仕事から帰って晩御飯作って風呂入って飯を食ったら21時、ということも多く、諸々の連絡などをしたらもう就寝、ということが多いです。(夜遅くに寝ると疲れが取れずに次の日に響くため、私は大体22時、遅くとも23時には寝ます)
 日によっては1時間ほど就寝まで自由時間を取れる日もありますが、1時間では言語化するための時間としては短いので、いくつか下書きの記事が埋もれているような状況です。


 先ほども言ったように、今の仕事の環境は技術の高い方が周りに多く、学ぶことも多いので非常に楽しいのですが、それはそれとして、自分の心に生じたものを言語化する時間を取れないことは私にとってストレスになってきています。アブクが溜まってきている感じがあります。
 私にとっては、リアルの生活において身体を使う作業で充実感を得ることと、自分の内面を観察して言語化することで頭の中を整理することは、共に生きるために必要なことのようです。

 書きたいネタはその時々で気づいたらメモしているので、記事用のメモは増えているのですが、それをまとまって文章化する時間が取れずにいます。
 今の環境に慣れればもう少し時間にも余裕が出ると思うのですが、しばらくは難しそうです。

 日々の仕事に充実感は感じつつ、自分の心の言語化に時間を割けないことの不満足感を覚える日々を最近は送っています。