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出家未遂した男のその後⑦

 自伐型林業を学ぶため、男は津和野町の地域おこし協力隊で働くことにする。

 最初に津和野町の地域おこし協力隊の説明をします。
 ちなみに、以下の説明は私の在任当時の内容なので、現在は異なる可能性があります。

 津和野町は地域おこし協力隊を多く募集していますが、自伐型林業を学ぶグループを「ヤモリーズ」と呼称しています。

 たしか、一つところにとどまって山を守る姿をヤモリ(家守)に例えてヤモリーズという名前にしたのだった、かな…?(うろおぼえ)
 
 ヤモリーズは自伐型林業を学ぶことを主な目的にしているので、仕事としての活動は山での作業になります。
 具体的には1年間で、施業する山に作業道を開設し、間伐し、切った材を搬出する、という一連のサイクルを行います。

 ところで、「作業道」と前回の記事から何の説明もなしに使っていますが、これにも説明が必要だと思いますので少し説明します。

 作業道は言葉通り「作業するための道」です。ヤモリーズでは2tトラックが走行可能な強度・幅員がある道を言います。

 こういうところに

作業道開設前

 こんな作業道を付けます。

作業道開設後

 分かりにくいかもしれませんが、右のピンクテープを巻いている木が同一の木です。山側を削り、谷側に土台を作って盛り土して、路面を整地して作ります。

 なぜ作業道が必要になるかと言いますと、主に山で伐採した木を搬出するために必要になるからです。

 林業の生産物は「木材」ですが、それは当然、山にある立木を伐ってそれを運ばないといけません。
 昔はヘリコプターで伐った材を吊り上げて搬出していた時代もあったそうですが、今は材価が安いためそれでは収支が合いません。
 また、架線集材といって太いワイヤーを木と木の間に張って運ぶ方法もあります。これはヘリコプター集材より安いですが、材を運ぶ度にワイヤーを張り直さないといけないため、手間がかかります。
 しかし作業道は一度敷設すれば壊れない限りその道を使用して搬出用のトラックを走らせることができるので、初期投資と開設の手間はかかりますが、ランニングコストが低いため長年使う場合はむしろ全体としては費用は安くなり、また、搬出以外に間伐等他の用途でも利用できるので汎用性が高いです。

 自伐型林業ではなるべくコストを抑えることが重要になるため、作業道を開設して山を管理する手法を採用しています。

 この「作業道づくり」の技術を学ぶのがヤモリーズの3年間の大きな目的です。

 さて、ヤモリーズでは作業道をつくるのに3t未満のバックホウ(油圧ショベル)を使います。トップの画像で私が乗っているやつですね。作業道づくりの技術を学ぶには当然バックホウで作業する必要がありますが、ヤモリーズでは1年目は基本的にバックホウに乗る作業は行いません。

 ヤモリーズでの作業道づくりでは基本的に2人一組で作業を行います。
 一人がバックホウで山を削り、土の移動をしたり作業道を直接作り(この作業をする人をオペレーターと呼びます)、もう一人は作業道をつくるのに支障になる木を伐採します(グラウンダーと呼びます)。
 1年目はこの支障木を伐採するグラウンダーを主に行います。まずはチェーンソーの扱いを学ぶということですね。
 そしてグラウンダーをする中でオペレーターの動きを見て、作業道づくりの大まかな流れを学びます。

 というわけでヤモリーズに入った私はまずはグラウンダーとして木を伐倒する仕事を主に行いました。
 林業は作業強度が高いので、半年くらいは身体が慣れるまで辛かったですが、それを差し引いても入ったころは日々の作業が楽しかったです。

 私は前職は以前のべた通り大学の事務職員でした。学生課や財務課に当たる部署に居ましたが、それらはいわゆる裏方の仕事です。
 学生課では対応する学生に直接感謝されることもあり、やりがいはありましたが、財務課での仕事は何の役に立っているのか実感できず、しかもできて当たり前、間違ったら叱られるという環境なので正直あまりやりがいは感じられませんでした。

 しかしヤモリーズでは自分が作業道づくりに直接かかわる、いわばプレイヤーの立ち位置です。しかも、自分でその日行った仕事の成果が具体的に目に見えます。木を何本伐ったとか、何m作業道を開設できたとか。
 自分の仕事の成果が具体的に目に見える形で日々現れるので、とてもやりがいと充実感を感じていました。
 また、木の伐倒、チェーンソーの扱い方、重機の整備の仕方など、今まで全く触れてこなかった分野のことを日々学んでいたので、毎日新しい刺激と学びがあり、それも楽しかったのでしょう。
 さらに身体を動かすことが好きだったので、毎日肉体労働というのも楽しかったし、人工物より自然が好きな私が一日中山に入れる環境で働けるのもとても嬉しいことでした。

 こう書くとまるで天職についたみたいですね(笑)
 実際、1年目までは「ただ楽しい」という幸せな時でした。

 1年目の終わりになるころから、だんだんと私の心境は変化していきます。
 私の心を大きく占めるのが「作業が楽しい」から「卒業後どうやって食い扶持を稼ごう」に変わっていき、それを考えるのがどんどん辛くなっていくのです。

 続き。



 ところで、私はヤモリーズ在籍中にもnoteを書いていました。
 ヤモリーズではメンバーが交代でその時々の様子をnoteに書いていたので、私が当番の時は私が記事を書いていました。
 改めて数えたら25本の記事を書いていました。3年間在籍していたらそれなりに書いていますね。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!