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母はジャグラー

 私の母は非常に感情豊かな人である。悪く言えば感情的である。
 父は非常に理性的で知識が多く、悪く言えば理屈っぽくて口うるさい。
 父と母の会話は傍で聞いていると全くかみ合っているように思えない。けどそれで何十年も一緒に暮らしてるんだから逆にすごいと思ってしまう。

 父は順序だてて話をする。1,2,3,4,5…と順番に話をする。話の飛躍が無く、テーマが一貫しているので話を理解しやすい。ただ話が長い。
 母は話がぽんぽん飛ぶ。その時興味が向かったところに自由自在に話が展開する。1,2,3…と来て、4が来るかと思えばAが来て、じゃあ次はBかと思いきやγが来るくらい話に脈絡が無い。
 話がどれくらい脈絡が無いかというと

 母「今日仕事で○○さんから怒られてね~」
 私「へえーたいへんだったね」
 母「そうなんよ!あ、そういえば○○さんの娘さんが専門学校行ってるんだけどそこでね~」
 私(急に話変わるやん)「へーそうなんだー」
 母「そうそう、その娘さんが○○で××で~(ある程度その話が続いた後に)そう言えばあんた彼女でもできたん?」
 私(急に俺の話題になるんかい!)「いや、おらんけど……」
 母「えーあんたも早く(以下略)

 くらいに話の脈絡が無い。私は長年彼女の息子をやっているが、彼女が次に話をどう展開させるかの予測が当たったことはない。あと基本的に私が話を切らないと延々としゃべり続けるおしゃべりマシーンである。すごい。

 私は母のその見事なくらい話を何度も急に展開させる技術を賞賛して「会話のジャグラー」と呼んでいる。ぽんぽんクラブをジャグリングするように会話をお手玉する彼女にぴったりの呼称だと思うのだが、母からの評判は芳しくない。彼女にその称号を授けたときには「?」みたいな顔をされたのだが、いやあんたのことやで。

 私は物心ついてからの母との何十年にも及ぶ会話で、彼女の会話ジャグリング技術にも対応できるようになってしまった。
 昔は話が変わるたびに「さっきの話はどうなったの?!」とツッコみを入れていたが、そんなことをしても一旦前の話題に興味を失った彼女からはその後芳しい返事が聞けないことを段々と学習した私は、展開する話題を戻すことより、展開した話題にそのたびごとに受け答えするスタイルを学習していった。「この人に一貫性のある話を期待するのは無意味だ……」というあきらめによる学習は昨今話題にあがる「学習性無力感」と言えるかもしれない。なんと罪深き母か。
 私は自分が話をするより相手の話を聞いた方が好きだが、それは母との会話により形成されたものなのかもしれない。自分で球を投げるより、相手が放った球を打ち返す方が会話が成立するのだ、母との会話では。そのおかげかどうか分からないが、会話において暴投クラスの球が飛んできてもキャッチできるようになってしまった。苦境は人を成長させる。

 そういえば姉は実家に帰ると母と二人で長時間話をしている。会話の内容は聞いていないが、姉も母のジャグリング技術に対応しているのだろう。それとも姉もジャグラー気質なのか?もしそうならそこで展開される会話は私や父にとってカオス以外の何物でもないだろう。ちょっと聞いてみたい。


 話題が急に変わる人はもちろん母以外にも出会ったことがあるが、母ほど急展開をする人とはお目にかかったことが無い。母はジャグラー上級者なのかもしれない。
 そんな母に育てられた私もジャグラーの素質はあるのかもしれないが、あいにく母のジャグリングを反面教師にした私には母の技術を習得することはできなかった。全く残念に思わないけど。



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