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精神的自傷行為、自分を貶める心、外部の評価軸を優先する心など

 やそらさんとスペースでお話しました。

 やそらさんのnoteをX(ツイッター)でシェアしたのがきっかけでお誘いいただき、スペースでお話することになりました。

 スペースでお話するのは初めてでしたが、お互いの深いところをお互いに抉り合うというなかなかアグレッシブな対話になりました。私のイメージでは夕陽をバックに浜辺で殴り合うシーンが思い浮かんだスペースでした。
 そのスペースで気づいたこと、思ったことなどを書いていこうと思います。


 このスペースで一番露わになった私の心は、セルフネグレクトの心でした。その心は「自分が価値のない存在だと思いこむ」「自分を大事にしない」「自分を幸せにしようとしない」「人の助けを拒絶する」「人からの評価を拒絶する」などの心と同じ根っこを持っているようでした。
 言い換えると、「自分で自分を傷つける心」というのが私の中で大きく悪さをしているようでした。

 やそらさんと話し、やそらさんの鋭い指摘を受けることで「自分で自分を傷つける心」というのに気づけたのがこのスペースでの一番の気づきでした。正確に言うなら、その心は常に私の中にあり、私も薄々気づいていましたが、見て見ぬふりをしていました。それが、やそらさんの指摘によって明らかになった、という感じでした。

 私の感覚の中で「自分で自分を傷つける心」というものは「自分を価値ある人間だと思えない」という心と深く関係がある気がしています。
 スペースで、私が「自分が楽しいとか幸せになることをするより、社会的に価値あるとされることすることを優先してしまう」という話が出ました。今、そうしてしまう自分の心を観察すると、自分に価値があると思えないため自分の外に自分を評価するための価値基準を求め、それが「社会的に価値あるとされること(自分の外の評価軸で評価されること)を優先する」という行動傾向につながるのではないかと思いました。

 また、「自分で自分を傷つける心」はリストカットなどと似たいわば精神的自傷行為であり、それをしたがるのは自分を傷つけることで生の実感が得られるからではないか、という話も出ました。
 「生の実感」という表現だと私はピンと来ないのですが、これが「アイデンティティ」という表現だと私に該当するように思いました。つまり、私は「価値が無い人間だ」というアイデンティティを強く持っており、そのアイデンティティを守るために敢えて自分を傷つける、自分の評価を下げる行為をするのではないか、ということです。
 
 「自分を価値の無い人間だと規定する」というアイデンティティがあると仮定すれば、先に述べた「社会的に価値あるとされることを優先する」という行動傾向にも説明はつきます。「自分に価値が無い」から、自分で決めた評価というものは価値が無いものであり、だから外部の評価基準、価値基準を優先する、という理屈です。
 私は自分の判断に自信を持てないこともあるので、この仮定は十分妥当性がありそうです。


 こうしたセルフネグレクト、精神的自傷行為をする心を改善するための方法として、

1.自分を必要以上に卑下しない
2・自分に対する相手の高い評価を素直に受け入れる

というのが有効ではないかという話が出ました。

 1.は精神的自傷行為そのものを戒めるもので、自分を悪く言ってしまうことを避けることです。自虐的な表現をしないということですね。私は今まで自虐的な表現を頻繁に行っていたので、意識してそれを止めてみようと思いました。
 2.は自分の評価が低いことと関連しますが、人から高い評価を受けたとき、「いやいや、私はそんな(良い)人間ではありませんから……」とその評価を否定するところが私にはありました。この行為をやそらさんは「謙遜という名の拒絶」と表現しましたが、言い得て妙だと思います。
 一見すると謙遜という柔らかい対応に見えますが、その実は相手の評価を拒絶するという強い対応をしていたのでした。
 この行為自体が自分を下げる行為なので、精神的自傷行為の亜種と言って良いでしょう。これも意識して止めようと思いました。


 やそらさんとのスペースは、私の中でかなり大きな衝撃を残しました。どうやら「自分を傷つける心」の根っこは私にとってかなり強烈な影響のあるもののようでした。スペースが終わった後も心のざわつきというか動揺が非常に強く残りました。
 また、改善方法の1.2.をそのスペース以降意識しているのですが、意識するときに自分の心に非常に強い抵抗感と心の垢が少し落ちる不思議な感じがしていて、自分にとってなかなか良い訓練になっている感じがあります。私の心の根に作用する意識の持ち方なのかもしれません。

 正直スペースで感じた衝撃について、今回の記事でもとても書ききれないところが多いのですが、未消化の部分が多すぎて言語化できませんでした。
 今後、日々を過ごす中でこのスペースで得た衝撃の残響を観察しながら、引き続き言語化していきます。



 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!