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(11)本末終始の順序-竹簡孫子 作戦篇第二

作戦篇第二の2回目の解説です。今回は、孫子と論語などの他の中国古典の関係からお話していきます。

結論から言うと、「孫子」も「論語」も宇宙の法則(自然摂理)として合致しており、矛盾していないという事です。


「論語」と「孫子」の関係を言えば、「論語」は学問や政治をテーマにし「陰」であるとすれば、「孫子」は軍事や戦争をテーマにする「陽」と言えるでしょう。

論語とともに四書に数えられる「大学」という中国古典に「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し」という一節があります。



物事には本質と末節、始まりと終わりがあって、取り組むべき順序を間違えなければ、「道」に近しという意味です。これは陰陽の原理で言えば、「陰」を先にし、「陽」を後にするという順序を教えてくれます。

作戦篇第二では、実は「大学」「論語」と同じように、本質、陰を大切にするという教えで書かれているのです。

しかし、孫子では、この後の内容で、「戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ」と述べています。これは、「陽」でスタートし、「陰」で決着をつけるという意味ですから、「論語」や「大学」、「孫子」の作戦篇第二と述べていることが逆になってしまいます。

中国古典、東洋思想を学んでいると、「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し」は例外のない真理の一つだと分かります。ですから「孫子」でも軍事よりも経済、軍隊よりも国民を優先すること述べている訳です。

ではなぜ、戦いの場合は「正を以って合し、奇を以って勝つ」になるのでしょう。

「論語」の中に、「政は正(陽)なり」という一節があります。この一節の対になる考えは、「兵は奇(陰)なり」、つまり「兵は詭道なり」という事になります。


政治、経世済民の道は、正(陽)であるから、根本を優先する(陰→陽)である。戦争、軍事の道は、奇(陰)であるから、末節を優先する(陽→陰)であるという構造が見えてきます。

この世のことはすべてバランスできており、どちらか一方しか法則が当てはまるということはありませんから、戦争、奇の場合は順序が逆になる。

古代中国の思想家、政治家、軍人にとっては、陰→陽の順序はいわば常識として理解していることであるから、兵法書である孫子では、イレギュラー、末節である軍事(奇)の場合は、本末終始の順序が逆になることを強調したのかもしれません。

陰陽相待原理をから読みとくと、他の中国古典との関係を理解する事ができます。別々の主張をしているのではなく、ともに宇宙法則(自然摂理)を別の角度から述べていると理解できると思います。

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