天の意志は自分だけのものではない

お誰かの夢や志、想像の世界を、はなから否定する人がいる。

そういう人は、残念だけど人間を知ることができない。

夢というか、頭に浮かんだインスピレーションですね、または決意、志などを、軽く言っただけなのに、親、兄弟、先生、上司、恋人などに否定されて、もう絶対にこの人の前で話すことはやめようという想いを持った人は多いのではないだろうか。

人の想いを否定するということは、人の心を閉ざさせる大きな理由です。

そもそも直感というか、インスピレーションを自分のものでも、相手のものでも無いわけです。ここのところがわからない人は、自分と他者を分けるという二元論から離れることはできません。

なぜその情報が自分の目の前に現れて、自分の心は触発されてしまったのか。相手もそう。

そこに天の意志がある訳で、他者の心の中に宿ったアイデアやインスピレーションが相手のものだけでなく、幽界を通して自分の目に現れて、心に入ってくる天の意志に心を向けることができると

すべての出来事に意味を見出すことができる訳です。

相手のアイデアやインスピレーションが自分の意に合わないという理由で否定するということは、自分の欲望の実現へゴリ押しの裏返しであり、どこかで相手をコントロールする意識は強く働いていると見えてしまいます。

天意がなぜ人に降りてくるのか、天と人の関係がわからない。目に見えるものしか信じないということになってしまいます。

論語で孔子先生が「中人以上には、以て上を語るべきなり」と言っております。私は、上を天の意志というか、「志」と解釈しているのですが、他者をはなから批判してしまうと、中人以下になってしまうと思うのです。

このように考えると、天命も多くの人と繋がっているのです。これを同志と言います。人格は別であっても天の意志は共有しあっている訳です。

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