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(36)圮地と絶地-竹簡孫子 九変篇第八

孫子の兵法の形篇第四から行軍篇第九までの六つの篇は、個別に存在するのではなく、密接に関係しています。先の篇に進むにつれより具体的になっていきます。

形篇の理論をより深ぼると勢篇になり、勢篇を深ぼると虚実篇になり、虚実篇を深ぼると軍争篇になり、軍争篇を深ぼると九変篇になります。

軍争篇では、主導権争いで有利に軍隊を動かす方法を述べ、それは人間の性質に従うとうものでした。九変篇では、敵と味方の間で状況た体勢の変化を作り出す理論にまで展開していきます。

しかし、一般の孫子の兵法では、九篇篇は最も謎に包まれており、内容の整合が取れておらず、この篇だけ内容が薄くなっているのが特徴です。

私の新解釈の研究では、九変篇に光を当て、軍争篇の内容をさらに深掘りする解釈を導き出しました。

孫子を学び研究する人のご意見を伺いたいと思います。

さて本題に入りましょう。
九変篇には、構成がわからないという他に、もう一つの謎があります。

それは「圮地」という言葉です。

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従来の孫子では、この言葉が何を意味するのかわからないのです。
「圮」という字は、欠けるという意味ですから、研究者達は、「泛地」、つまり山、林、池、沼のことだとしています。

「圮地」は「泛地」の書き間違いである、もしくは似たような意味ということで、「圮地」を「泛地」に書き換えている孫子もあります。

しかし、それは本当でしょうか?

私は、「孫子」は、天の法則、自然摂理である陰陽の原理を軍事で説明しているという仮説から、孫子に出てくる漢字の多くに対概念が存在するという仮説を立てました。

そう考えた結果、「圮地」は「絶地」の対概念ではないかと気がついたのです。

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「絶地」とは、敵国領土に奥深く入った場所を指し、自軍の兵士達は逃げることができず、一致団結する場所になります。

この「絶地」の対になる概念とは、つまり敵国の領土に深く入らない場所。それは自国の領土(散地)と国境付近(軽地)、この二つの地は、我が軍の兵士が逃亡する場所です。

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つまり、兵士にが逃げる=欠ける=圮地ということが言えます。

この説があっているか、どうかはさまざまな研究者のご意見を聞きたいところですが、この説をとると、孫子の兵法理論により深い解釈ができ、さらにさまざまな箇所の主張がつながり、矛盾が解消されるのです。

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「圮地」は「絶地」は、陰陽の関係です。
「圮地」は「陰」で、「絶地」は陽といえます。

双方にメリットとデメリットがあります。
つまり「生」にも「死」にもなるのです。

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「圮地」は「絶地」は、相対的なものですので、戦う場所によって変化します。

それでは「圮地」は「絶地」について本文を確認してみましょう。

【書き下し文】
圮地(ひち)には舎(とどま)ること無く

絶地(ぜっち)には留まること無く

【現代訳】
兵士が逃亡しやすい国境付近(圮地(ひち))では、宿営してはならない

敵の領土に深く侵入した地(絶地)では、長い期間同じ場所に留まってならない

「舎」と「留」は、ともに「とどまる」と読みますが、「舎」は宿営してはならず、「留」は同じ場所に長くとどまらないという意味です。

これが従来の場合、「泛地」、山、林、池、沼など険しい場所では宿営しないという解釈になりますが、果たして判断の選択肢を奪うようなことを孫子が本当に言うか考え直してみる必要があると思います。

さらに付け加えると、九地篇には二度、さまざまな地形での戦い方が出てきます。一つは侵攻軍として各地形で戦う場合、もう一つは迎撃軍として戦う場合です。「散地」と「軽地」は「圮地」として侵攻軍と迎撃軍の立場、重地は絶地として読み侵攻軍と迎撃軍の立場で読むと、意味が完全に整合されると言っておきます。詳細は九地篇で解説をしたいと思います。

私の孫子解釈は、「圮地」は「絶地」の解釈で彼我の「死生」を作り出す方法になります。

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