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読んだ本 2024年5月号 11冊


★★★★☆ / 習得への情熱 チェスから武術へ――上達するための、僕の意識的学習法

チェスの世界大会で優勝したのち、太極拳の推手でも優勝の成績を納めた著者の幼少期から現在までの経験や考え方の推移が書かれている。

この本は学習やパフォーマンスについて語ったものだけれど、それはつまり、僕の人生や人生そのものを語った本ということでもある。心を今という瞬間に据えることから生き方を教わったのだ。

第17章 引き金を構築する

本書は生き方についての抽象的なヒントを与えてくれる本のようにも見えるが、チェスと太極拳の達人が自身の感覚を日常言語で綴った以上のものではないのではないかという気もする。

意識を真似することは上達に繋がる訳でないし、目の前にある課題に真摯に向かう中で本書で触れられているような考え方の一端に触れる機会があれば嬉しいと思う。

★★★★☆ / 徹底のリーダーシップ

『経営は実行』の著者のひとりであるラム・チャランの著書という話を聞き、読んだ。

気持ち的な部分は参考になる。本書で書かれている対象となっている立場は主にCEOやCFOであって、立場の違いによって言葉通りのアドバイスが応用できる訳ではないが、そうであっても一度は読んでおいていいと思う。

★★★☆☆ / SONYとマッキンゼーとDeNAとシリコンバレーで学んだグローバル・リーダーの流儀

グローバルで活躍するリーダーに求められる要素について、日本対それ以外の環境という構図を作りながらストーリー仕立てで書かれている。

対話形式の文章が多くシチュエーションや主張が読み取りやすい。一方で、著者の経験が直接記述されている箇所は多くはなく、おそらく経験を一般化した構図に落とし込んでいるからか、典型的な日本像と海外の対比といった見え方をする箇所もある。

グローバルな環境で活躍するかどうかにかかわらず、むしろグローバルでは通用しないような旧来の日本的なイメージを払拭するための振る舞いについて記述した本だと感じた。

★★★★☆ / Hit Refresh

「マイクロソフトの存在意義は何か?この新たな役職での私の存在意義は何か?」

Chapter1 ハイデラバードからレドモンドへ

マイクロソフトのCEOとなったサティア・ナデラが変革をテーマに書いた本。スケールが大きくどこまで同じ人間や環境であるのかを想像するのはもはや難しいが、内容自体は平易な言葉で書かれていて、読みやすい。

例えば、冒頭付近にあるリーダーシップについての記述は反論の余地がない。

このあまりに短すぎるクリケット人生から学んだ原則は三つある。...第一の原則は、おじけづき、ためらってしまうような場面でも気迫と熱意で立ち向かうことだ。...第二の原則は、自分自身の成績や評判よりも、チームを第一に考えなければならないということだ。...第三の原則は、リーダーシップがきわめて重要と言うことだ。

Chapter2 率いる方法を学ぶ

私は当初から、アジュールをデータ機能やAI機能で差別化する方針を決めていた。...リーダーは、外部のビジネスチャンスと内部の能力や文化、およびそれら相互の関係に目を向け、そのチャンスがありきたりなものになる前に対応しなければならない。

Chapter2 率いる方法を学ぶ

他にも成長マインドセットについて、パートナーシップについて、将来の技術や信頼と価値観について、いい意味で教科書的で参考になる記述が多くある。

★★★★★ / チョムスキー (1972年) (現代の思想家)

人間生活にとって言語が本質的なものである、とした場合、言語の研究が人間性の理解にどのように貢献しうるだろうか、という設問を提出してみるのは、きわめて当然のことだろう。...理論言語学の目的とは、「言語とはなんであるか」という問いに科学的な解答をあたえ、それによって、哲学者や心理学者に言語と思考との関係を論じる際に、頼ることのできる論拠を提出することなのである。

チョムスキーの言語理論の意味

本書はジョン・ライアンズによるチョムスキーの言語理論の解説であり、行動主義とチョムスキーの思想との対比をはじめとした記述によって、チョムスキーの言語理論の立場がよくわかるように書かれている。

序論にある以下の記述は、そのような立場の対比をよく表している。

チョムスキーは長い間、少なくともより極端な形の行動主義心理学(つまり<急進的な行動主義心理学>)に敵対してきているのである。この心理学によれば、人間の知識や信念、人間特有の思考と行動の<パターン>はすべて、<条件づけ>というプロセスを経て築きあげられる<習慣>として説明される。... チョムスキーはこう主張している──行動主義心理学者の用いる科学専門述語や統計の印象的な美々しい装いは偽装にすぎず、それは、言語とは決して単なる<習慣>の集合などではなく、動物の使うコミュニケーションとは明らかに異なるという事実を説明できない彼らの無能力を覆い隠しているだけである、と。

チョムスキーの社会的発言の意味

チョムスキーが提唱する理論の哲学的意味は、本書の後半で以下のように書かれている。チョムスキーが記述しようとした言語の普遍的な「文法」がどのようなものを対象としているのかがわかる。

すべての言語は、どのような文化のなかで用いられるにしても、同様の機能(陳述すること、質問すること、命令することなど)を果たさなくてはならない。... 人間は遺伝的に特定固有の<言語能力>を授けられており、この<能力>こそ(本書ですでに述べた二つの例を挙げると)構造依存性とか<上位範疇優先>の原則といった普遍特性を規定するのである、というのがチョムスキーの見解である。... 現在わかっている証拠はすべて、子供はある特定の言語だけを学習する素地を持って生まれてくるのではない、ということを示している。

普遍文法の哲学的意味

本書では生成文法のようなチョムスキーの理論の詳細には触れていないものの、熟語の示す意味の解説が試みられていて、参考になる。
例えば、「生成」と言う単語が「話し手がしゃべる際の行動を再現する機械的なモデル」と見なされがちだがそれは間違いで、数学的な意味の生成だと説明する。

(チョムスキーが<生成的>と言う用語を使っているのも、実は数学的用法による。)2x+3y-z という代数式(すなわち関数)を考えてみよう。変数 x, y, z が値としてそれぞれ整数のどれかをとることができるとすれば、この式は(普通の演算によって)答えの無限集合を生成するだろう。

<生成する>とは?創造性の定式化

チョムスキーの理論はもちろん新しいものではなく、価値を知るためには理論の詳細も把握する必要があるだろうが、時代背景やエッセンスがよく記述されていて勉強になった。
本書の最後に書かれているこの理論への期待は、現代への応用の予感が感じられてよい。

この試み自体は、これらの概念についてのわれわれの理解を計り知れないほど深めてくれるのだろうし、この点で<チョムスキー革命>は必ずや成功するに違いないと確信していることをつけ加えておこう。

第十章 結論

★★★★★ / 差異と反復

あまりにも読み方が分からなかったので未来の自分に託してひとまず読んだ扱いにした。
世の中のレビューを見るに価値のあるものらしいので、ヒントになる材料を見つけてまた戻ってきたい。

★★★★★ / 「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用

私が『差異と反復』があまりにも読めない(これは哲学の前提知識がない、ポストモダンの文章に慣れていないなど多くの要因がある)ので、いっそもっとも批判的な立場にある書籍をよんでみたらなにかヒントがあるのではないかと思い、読んでみた。

本書では、ポストモダンと呼ばれるジャンルの作品に(おそらく)メタファーとして用いられている数学的・物理的な単語が、メタファーとして成立するだけの最低限の理解を持って書かれているか文脈から推察する、といった試みがされる。
結論は誰もが想像するように、メタファーの体裁を保つだけの論理的な整合性はない。

本書は8人の哲学者に対して議論を展開していて、それぞれの考察に相当な分量の文章を割いている。(この詳しい解析は著者からすると真摯な態度を表しているのだろうが、各哲学者の愛読者にとっては果たして読む価値のあると感じるものなのだろうか。)

これらの混乱に付随する実害として、政治的左翼の弱体化を挙げていて、おもしろい。

政治的左翼を自認するわれわれすべてに、ポストモダニズムは特定の負の帰結をもっている。... 知識人、特に左翼の知識人が、社会の発展のためにプラスになる貢献をしたければ、そのための最良の道は、世を風靡している考えを明瞭に分析し、支配的な言説から神秘的な匂いを取り払うことだ。自分で神秘を付け加えることではないのである。

なぜ問題なのか?

とはいえ、これもポストモダニズムへの根本的な反論にはならないような気がする。本書の活用方法として、本書で批判されている相対主義に陥らないように、両方の立場を考えて、自らの考え方の糧とするのがいいのだろうと思う。

冒頭付近では、哲学者が数学の教育を受けていないことによって批判をするのは間違いである、という問いかけに対して、われわれが気にしているのは資格ではなくて内容だけである、という主張がある。これの注釈としてチョムスキーの分野の違いによる文化の差についての逸話があり、象徴的な話だと感じた。

数理言語学の仕事をしましたが、数学の本職の資格があるわけじゃない。数学は完全に独学だし、それもちゃんとやったというほどでもありません。それでも、何度も大学の数理のセミナーやコロキウムに呼ばれて数理論理学について話してきました。だれも私がこのテーマについて話す資格があるかとか聞きませんでしたよ。数学者は気にもしてません。... あくまで話の内容が議論になるのであって、私がそれを議論する権利じゃない。
ところが、社会問題や、米国の外交政策、たとえばヴェトナムや中東とかに関する議論になると、こういうことが相も変わらず問題にされるんです、それもかなりの毒を含んでですね。話す資格について何回も意義を唱えられ、こういったテーマについて話していいだけの特別な教育を受けたのかと訊かれたものです。

6 誰に批判する資格があるのか?

★★★★★ / 科学革命の構造

パラダイムがパラダイムとして地位を獲得するのは、その分野で仕事をする研究者グループが緊急性が高いと認めるようになったいくつかの問題を、競争相手よりも上手く解決するからだ。パラダイムの成功とは、...最初は、完全には解決されていない選ばれた[複数の]例を解決する見込みがあるという程度のことなのだ。

通常科学の性質

トマス・S・クーンは「パラダイム」という単語をはじめて使った人物らしい。
本書の目的のひとつには、他の分野における革命と比較して、科学における革命を特徴づける構造はなにかを指摘することがある。古い本ではあるが、「パラダイム」「通訳不可能性」といった重要な概念についての考え方は、さすが古典とされているだけあって今の時代に読んでも新鮮な要素がある。

本書の全体を通じて、科学において新しい考えや主張が発生したり、法則を破るようなアノマリーが発生した際の状況の分析などが行われる。
クーンの学生にとっての応用例についての立場は、明確でわかりやすい。

応用例が教科書に示されるのは単なる飾りとしてではないし、資料としてですらない。実際、理論を学ぶプロセスの成否は、紙と鉛筆、そして実験室の装置類を使って問題を解く練習をすることまで含めて、それらの応用例を身につけられるか否かにかかっている。

パラダイムの優位性

さらに新しい科学的な発見があるためには、酸素やX線を例に挙げつつ、新しい語彙と概念が提供されていることが必要であると指摘する。

何かを発見するということは、「見ること」という、通常の(そして疑わしい)概念にたとえられるひとつの単純な行為のように思わせることで、人を誤りに導く。...何か新しいものを発見するということは、何かが存在するという認識と、それが何であるかという認識の両方に関係する、必然的に複雑な出来事だからだ。...「何か」を発見することと、それが「何であるか」を明らかにすることが、容易に、同時に、しかも瞬時に起こりうるのは、関係するすべての概念的道具があらかじめ用意されている場合だけであり、その場合、その現象は新しい種類のものではないだろう。

アノマリーと科学的発見の出現

通常科学の目的を正しさが仮定された上でのみ存在するパズルを解く作業であるとし、理論と一致せずある問題の解決を拒むアノマリーが存在するような場合でも、必ずしもその科学に対する危機は生じないと主張する。

科学の教科書を読む者は、そう受け取ってよいと思える理由を多少とも与えられさえすれば、教科書に示されている応用例は、その理論の正しさを示す証拠であり、理論を信じるべき理由なのだろうと思ってしまう。しかし、科学の学生が理論を受け入れるのは、証拠のためではなく、教師や教科書の権威のためなのだ。

危機への応答

そして、アノマリーが通常科学によくあるパズルに見えなくなった時、通常科学から危機への移行が始まるとする。パウリのハイゼンベルク流の量子力学に対するコメントはたしかに印象的でわかりやすい。

「ハイゼンベルク流の力学は、私に希望と生きる喜びを与えてくれました。それで謎が解けたというわけではないにせよ、これでわれわれはまた前進できるでしょう。」

危機への応答

終盤では、本書の独創的な点として、科学に対して他の分野における革命による歴史の説明の仕方を導入し、かつ革命の発生の仕方を他の分野と区別することにあると述べ、その区別を目的の一つとしている。

様式、好み、体制が、革命的な出来事で区切られることをもって時代を区別するというその手法は、それらの分野の研究者にとっては常套手段なのである。もしも私がこれらの概念について独創的だったとしたら、それは主として、科学という、それとは別の発展の仕方をすると広く信じられている分野にそれらの概念を当てはめたからだろう。...科学の発展は、しばしば想定されてきた以上に他分野の発展とよく似ているかもしれないが、違いも顕著だ。...本書の目的のひとつは、そんな違いを検討し、それらに説明を与えるという仕事に取り掛かることだった。

科学の性質

★★★★★ / 勉強の哲学 来たるべきバカのために

この本は、勉強が気になっているすべての人に向けて書かれています。

はじめに

本書の対象は勉強について新しい知見を得たいすべての人とされていて、本書のベースにはフランス現代思想が横たわっている。

通常は、他者と言えば、他の人間を意味するものですが、本書という環境では、新たな言葉づかいとして、他者とは自分以外の全てであるという特殊な定義をしている。ちなみに本書は、フランス現代哲学という学問分野=環境に多くを頼っており、本書を読むことはフランス現代思想をちょっと勉強することになっています。...馴染みの道具だった使い方を変えようとしてとまどうときに、言葉は脱道具化し、物質性を発揮する。

言語の不透明性

集団的・共同的なノリから出発し、そのノリを一旦忘れてノリが悪い状態になったのち、それを乗り越えて新しいバカができる状態になるひとつの道筋を提案している。敢えてバカという単語を採用しているが、根本的にまじめな態度が垣間見える。

本書の中盤では、勉強のきりのなさに対して、勉強の有限化が必要であるとする。その上で、信頼できる情報を自分なりに比較する際の基準を提供する。

ある結論を仮固定しても、比較を続けよ。つまり具体的には、日々、調べ物を続けなければならない。別の可能性につながる多くの情報を検討し、蓄積し続ける。すなわちこれは「勉強を継続すること」です。

比較の中断

終盤では勉強を有限化しつつ継続するポイントが記述されている。勉強を自己破壊の手段と捉えて、自由を目指すためのいい指針だと感じる。

★★★★☆ / 急成長を導くマネージャーの型

著者が運用する株式会社EVeMは法人向けにマネジメントのトレーニングを商品として提供しており、一通りの要素がまとめられている。一度は目を通しておいて損はない。

★★★★★ / 現代思想入門

現代思想と呼ばれている考え方の観点がとても丁寧に書かれている。「脱構築」の態度について詳しく書かれていて、入門に相応しい。
現代思想の文章に触れ、全く理解できないという感情を抱いてから本書を読むのがいい。

本書の役割は、非日常的な表現で書かれていて一見すると全く理解できない対象である現代思想の文章に遭遇した際に、非日常的な表現が必要とされている背景を感じ、その文章によって脱しようとしている対象は何なのか、という方向に思考を向けられるようになることにあるのだと思う。

本書が歴代の哲学の思想について分かりやすく書かれすぎていて、原典を知らずとも理解したつもりになれてしまうことはむしろ欠点だと感じるが、正しく入門書と捉えて、いつか現代思想の作品に触れた時の理解の材料としたい。

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