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【長編小説】(7)永遠よ、さようなら

 一時間に一本のバスに乗って三十分。駅から少し離れたほぼシャッター街と化した商店街にある弁当屋があやめのバイト先だ。
 他の人に災の姿が見えないとわかっているもののどうしても拭い去れない緊張を抱きつつガラス引き戸を開けると、客のおばさま方に囲まれた店長が「いらっしゃ」まで言いかけて、「おはよう、あやめちゃん。今日もよろしく」と笑った。どうやらちゃんと災は見えていないようで安堵する。店内に入り、災が通る時間を少しだけ取ってから戸を閉める。カラカラとどこか懐かしい音がした。
「あやめちゃん、相変わらず今日も凄まじいTシャツ着てるね」
「え、変ですか?」
「めちゃくちゃ変」
「私は可愛いと思うんですけど」
「何で絵のセンスはピカイチなのに服のセンスは壊滅的なの……」
 何となく温かみのある呆れ顔をした店長に、「じゃあ藤ちゃんがコーディネートしてあげればいいじゃない」と客のおばさんたちが豪快に笑う。
「藤ちゃんの本気、おばさん見てみたいわぁ」
「あやめちゃん素材はいいから、きっと化けるわよ」
「メイクはできないの?いつもすっぴんじゃ残念すぎるわよ」
「それは服装センスを何とかしてからでしょう」
 店長ーーーー滅紫藤は有名アパレルメーカー”ペールアイリス”の元社員だ。デザイナーとして活躍していたらしいが、なぜか今は生まれ育ったと言うこの町で弁当屋の店主をしている。
 有名メーカーのデザイナーなんて成り行きでなれるような職業では無いから、きっと彼は夢を叶えてそこにいたのだと思う。それをどうしてかなぐり捨てて、こんなところでオシャレのオの字も無いようなど田舎の弁当屋をしているのかは知らない。訊ねようとも思わない。
「いいですね、それ。俺、一度あやめちゃんをコーディネートしてみたいと思ってたんですよ」
 藤が爽やかな笑顔で言うと、店内におばさん連中の黄色い声が沸き上がった。三十手前のオシャレイケメンが笑うとこうなる。そしておばさん陣営は浮き足だち、
「絶対いいわよー。ついでに結婚しちゃえば?」
「あやめちゃんも着飾れば、美男美女で絶対お似合いよー」
「馬鹿ねえあんた、まずはお付き合いからでしょう」
「え?藤ちゃんとあやめちゃん、まだ付き合ってないの?」
 若者の人口流出が激しいど田舎の、色恋沙汰に飢えたおばさんが勝手に騒ぎ始めるのも必然のこと。そこに面白がった藤が「大好きだよ、あやめちゃん」などと悪ふざけを始めるので、もう収拾がつかない。
 ここで働き始めた頃は面食らったこのカオスにも、今ではもうすっかり慣れてしまった。騒ぎを適当にあしらいつつあやめはバックヤードに荷物を置きに行こうとしたが、
「なっ!」
 藤の背後ゼロ距離に立って凄まじい形相で彼を睨みつける災を見て、思わず叫び出しそうになる。
「どうしたの、あやめちゃん」
 太陽光の輝きを圧縮したような光属性イケメンの藤の後ろで、災の影は一際コントラストを深めて、
「え?ああ……いや、何でもないです」
 藤の脇を通り抜け、死角に入ったところで災に向かって顎でついて来るよう指示する。ドス黒い影を湛えていた顔がパッと笑顔に変わり、一緒にバックヤードへ。
「おしゃべり禁止は終わり?嬉しいよ、あやめ」
「終わりじゃないよ。何してんのあなた」
「だって、あいつがあやめに色目を使うから」
「色目って……あんなのちょっとした悪ふざけでしょう。本気に取らないで。というか例え本気だったとしてもあなたに何の害もないでしょう?」
「大有りだよ。あやめを守るのは僕だから」
 まっすぐに言い放つ災に違和感を覚えつつも、荷物を置いてエプロンをつけるだけの身支度にそうそう時間をかけてはいられない。案の定、表から「あやめちゃん、ちょっと買い物に出てくるから店番頼める?」と藤の声が響いてきたので、
「いい、変なことしないで。何もしないで。ただここにいる以上のことしたら怒るからね」
 一方的に告げて、バックヤードを出た。災が何かを言おうと口を開けたような気がしたけれど、振り返ることはしなかった。

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