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nariyuki
2015年10月26日 13:08
『「待つ」ということ 』のなかで介護問題に関する文献をいくつか目にして、なんだか妙に共感した。たぶん、わたしは自分のなかに被介護者と介護者を内包しているのだと思う。わたしは痴呆老人であり、どこかそれを必死に他人事にしながら最期のときを待つ介護者でもある。被介護者のその一見非常識な言動は、コーピングの表出である。呆けによってゆらいだ自分のなかで本人なりの理屈を通した結果であり、自己同一性を保とう