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マイナポイントで冬は越せますか?

そんな訳なかった。

金欠吝嗇家である私は、本キャンペーンのMax値である2万円をかすめ取り、街に繰り出した。しかし越冬は無茶だった。いくら素うどんとほぐし水のつけ麺を啜るも、四・五カ月の歳月は途方もない。私は絶望した。すべてを悟った後に頬張ったロイヤルホストのステーキは今でも忘れられない。肉の繊維を噛み千切る度に脳の奥に清涼感が伝わる。煙草やサウナとは、また違う心地よさ。親に頭を殴られた直後の、あの一瞬の涼しさにすごく似ていた。

さて全財産は、この12桁が載った固い紙ただ一つになったわけだが、私は慌てず次の作戦を実行した。それは、文化功労者になることだ。

日本国憲法第14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、文化勲章受章者に年金や褒賞金を支給することができなかった。このため1951年(昭和26年)に勲章とは別制度として「文化功労者」を設け、これに年金を支給することで実質的に文化勲章年金の機能を持たせた。終身年金支給額は文化功労者年金法施行令(昭和26年政令第147号)で定められ、現在の額は1982年(昭和57年)に規定された年間350万円である。

Wikipedia-文化功労者 より抜粋

つまるところ、文化功労者にさえ選出されれば、年額350万円の年金を手に出来る。僕は嬉々としてこの事実を知った。喜んで文化功労しようじゃないか。漫画かな、いや俳句がいいな。俳句、やってみたいと思います。

なぜ終わっている人間はここまで人の努力を踏みにじる戯言が言えるのか。どうか他人事のように思いたい。そして、文化功労者に選出されている方々は、平均して70歳ほどである。よって選出されるには、青年期から延べ50年の努力を積まなければならない。

そんなことは分かっていた。

雑文しか書けない私は、今日もこうして蛮行予告を書き溜める。


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