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【死にたくないから、毒を飲む。】過去の圧政者から、ジャイアンの苦悩を知る。

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの。」

彼の名言ともいえるこの一文は、読者に強烈なインパクトを与えた。相手を顧みず、自らの恣に考え行動する姿は、まさに極悪非道。世が世なら、冷酷無慈悲な圧政者になっていた男だ。という事で唐突だが、今回そんな現代の圧政者、ジャイアンと古代圧政者の両者の共通点を探ってみた。すると、有る仮説に至った。それは、

剛田武が不味い料理を作るのは、敵からの急襲に耐え得るためである。

というものだ。ジャイアンの作る不味い飯というのは、、、

こういうやつ


「調えた」、、、?

想像いただけただろうか。ここまで来ると嫌がらせに思える。

順を追って論旨を述べる前に、圧政について書いておく。
(文が固いので、読み飛ばし推奨。)

圧政は、権力の不当な手段による簒奪から生じる。彼らは己の地位を確固たるものとするために、民衆を服従のついで隷従の状態に慣れさせ、ついには自分を崇拝するに至らせるべく、たゆまぬ努力を重ねてきた。

ラ・エボシ著「自発的隷従論」より抜粋
剛田も同じく努力を積み重ねた

が、彼らは全ての人の上位にあり、仲間が全くいない。よって、平等のもとに生まれる信頼関係における友愛を知らない。「スネ夫」という存在も、始めに圧政者が手配した数人の身近な家臣の一人に過ぎなかった。彼は支配される側にありながら、圧政者を積極的に支える「小圧政者」として不遇の人生を送ることとなった。

ラ・エボシ著「自発的隷従論」より引用
いかに忠誠を尽くして奉仕しても、いつ見放され、滅ぼされるか分からない

つまるところ、圧政者とその手下たちの生涯は、とりわけ彼らの間に友愛が成立し得ないため、誰彼信じるという行為そのものが禁忌であり、それは大変不幸なものである。

まずは、過去の圧政者を事例として取り上げながら、彼らとジャイアンがどれだけ酷似しているのかを伝えたい。

CASE1:ローマ帝国第3代皇帝 カリグラ
"彼は妻を愛するあまり、彼女なしでは生きられないと思われるほどであったのだが、彼女の喉元があらわになっているのを見て、其処を優しくなでながらこう言ったという。「この美しい首も阿波氏が命じれば、直ちに切り落とされるのだよ」と。"(自発的隷従論より抜粋)
この関係は剛田と骨川に共通する。上にも記した通り、剛田は皆に悪をなすことで、皆を恐れることになるさだめとなっている。よって、剛田は他者の友愛をも無下に捉え、信頼を置くことなく暴行を繰り返している。

CASE2:ローマ帝国第5代皇帝 ネロ
"64年に詩人として、ナポリで初めて公式に舞台に立った。ナポリはネロの大好きなギリシャ文化が多くあり、劇場が小さすぎるとして、再建築を命じたほどである。ポンペイウス劇場では独唱会も開いた。1度目は運悪く地震で観客は皆逃げてしまった。2度目は出入り口に人員を配置して逃げられないようにした。しかし、あまりの退屈さに逃げる者が続出。出入り口が使えない為、塀をよじ登ったり死んだ振りをして棺桶で外に運び出された者も居たと言う。更には例外無く外に出ることを禁じたため、産気づき出産した女性も数人いたと伝えられる。"(Wikipediaより抜粋)
まさに彼のリサイタルに相当するエピソードだ。ここまでで、過去の圧政者と剛田の相関性が如何に高いものであるかを、まざまざと思い知らされたが、ここから本題の仮説検証に入る。何故私が、「剛田武が不味い料理を作るのは、敵からの急襲に耐え得るため」と考えたのか。それは、このような圧政者のエピソードがあったからだ。

CASE3:ポントス王国国王 ミトリダテス6世
"彼は多くの政敵から命を狙われる立場であった為、普段から毒殺を恐れており、ミトリダート法(人間に毒を少量ずつ投与し、毒への耐性を得る方法。彼はヘンルーダを含む薬用植物を毎食後に服用していた。)と呼ばれる独自の方法で耐性を身につけていたり、毒に関する数多くの研究を行う過程で、世界初の解毒剤とされるミトリダティウムの製造に関ったりして、死から逃れていた。"(Wikipedia、コトバンクより抜粋)
剛田にとっての毒。それは、彼自身の作るゲテモノ料理の数々である。定番のジャイアンシチューに始まり、ジャイアンピザ、ジャイアンラーメン等…彼の創作料理は常に我々の想像を超えてくる。

ジャイアンシチュー。彼の手に掛かれば、意図せずとも闇鍋と化す。

つまり彼は、自身の絶望的な創作センスを過信しながら、風まかせに料理をしているのではなく、敢えてミスマッチな材料を使い、わざと惨い料理を生み出し食べることで、ミトリダート法を実践している。と考えられる。

暗殺を免れる為なら、手段を厭わない。

彼の苦労が少しでも感じられただろうか。表は、傍若無人に人をこき下ろす反面、裏では常にしもべからの復讐に打ち震えながら、それでも自らの名誉のために生き永らえなければならない。最初こそほんの出来心だったのかもしれない。しかし、それによって生まれた復讐に対する恐怖心が、暴虐な限りを尽くす自らを許した。不安な都度に暴行を重ね、今やそのサイクルは、自身でも止められない程暴走している。早く彼を自由にしてあげたい。私の剛田に対する気持ちはより一層強くなった。いつか、向こうの世界で彼の暴走を止めてくれる賢者が現れることを祈っている。

(参考文献)
エディエンヌ・ラ・エボシ「自発的隷従論」ちくま学芸文庫


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