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10歳か、小五か、「小さな人」たちの凄さに出会ってきたっけ!

昨日/2024.6.13のnote「10歳の半日女子大生さんにしたインタビューがわたくしにリフレクトしてきたこと❤️」を書いていたときに「そう言えば……」と想い出すことがあった。
それは、これまでに10歳とか、小五とか「小さな人」たちの凄さ、「元小さな人」のわたくしが「凄い!」とか「もうリスペクトしちゃう」とか思った経験が蘇ってつながってきた。

最初に想起したのは
1994年の夏に出会った10歳の詩人、その「小さな人」は詩人になりたかった訳じゃないし、むしろ、『あこがれは漫画家』だった方。
あの河田宣世さん(10)。「まだ おさないころ」と言う詩を書き残してくださった方。
1996年、わたくしが中学校1年生の担任をしているとき、こんな実践をした。
想像力の話
その後、大学で先生を初めてからも時々、このエピソードは取り上げた。
教師をめざすきみに」(成田喜一郎監修,長瀬拓也編著『2013 年版 教師になるには』一ツ橋書店, pp.198-205)このエピソードは、藤原智也監修・長瀬拓也編著(2022)『教師になるには」キーステージ21,p.212-219に「教師に成るための学びへの旅—はじめの一歩」と言う一文を寄せている。

次に想起したのは
2003年の夏、わたくしが中学校の副校長 をしているとき、お台場のパナソニックセンターで開かれた「キッズ・ゲルニカ2003ピースバザール」(金田拓也さんを中心に)で行われたキッズ・ボイス・ライブ 子どもたちによるピース・トーク「世界の平和は大人にだけはまかせられない!」で「Mr. Narick 」ことわたくしが、ファシリテーターをしたことがあった。
そこで、あやちゃん(10歳)が「戦争というのはいけないことなのに、なぜやってしまうの?なんの意味があるのかな?」という問い/Essential Questionを発したのでした。当日、Mr. Narick は、その問いに即答できずに宿題にさせてもらい、後日、あやちゃんと親御さん宛に、長いお手紙を送ったことがあった。

そして、20年くらいの時間が経って
わたくしは拙著『物語「教育」誤訳のままで大丈夫!?-Education のリハビリ、あなたと試みる!-』(キーステージ21みらい新書, p.51-55)の中で小5の山田 佳蓮さんが、あの「SDGs/持続可能な開発目標って何?」と言う問いに、何と一言で言ってのけた「SDGsを簡単に言うと私は、地球上ですべての生き物生きやすくなる目標です。Mr. Narick 先生の説明はわかりやすいですが、問題の解き方という言葉が引っかかりました。みんなで協力するかという協力の仕方ではないでしょうか。Mr. Narick 先生、よろしくお願いします」と。
当時、大学の先生をしており、曲がりなりにもESD/SDGsの研究-実践をしていたときのこと、ある小学校の先生から「SDGsとは何か、大学の先生が小学生に説明するするとどうされますか」と言う問いをもらってしまい、これも即答できずに宿題にさせてもらい、ある「答案」ができました。少々、不安にだったので、学会仲間の若い研究者のお子さん 佳蓮さんに読んでいただいたところ、親御さんを通じて先のお返事が届いたのです。わたくしは、その言葉に驚きと同時に、リスペクト(ラテン語源に遡ると「振り返って見る」の意)してしまいました。

微かな記憶の彼方から
中学校社会科の先生をしていたころの話に戻りますが、かつて、わたくしは「国際社会と平和を考える―今、なぜ、Landminesなのか―」(2001年11月公開、社会科教諭)、そして「お願い、地雷をとらないで」という、「えって」思う/思われる実践(2004年3月公開、副校長)をしたことがあります。
これは、わたくしが社会科の先生として「地雷/Landmines」の「教材」研究をしていたから実践したのではありませんでした。
その経緯は、こちらに詳しい記録がありますので、ご覧ください。(飛ばしても全然OK)
なぜ, 「お願い、地雷をとらないで」を実践したのか:実践者の語り
生徒たちの「学びの履歴/Learning Histories」調査(2001年7月)の中から、社会科以外の教科(音楽/松井孝夫さん)で「地雷」について学んだとあったことから、今まで本格的にしたことのなかった「地雷」の「学習財」研究をしていきました。生徒に「教」えるための「材」料としての研究ではなく、先生もみずから「学習」しながら、生徒たちと共に「学習」するための「」産(学び習うのための宝物-幸運/treasure-fortune)としての「学習財」研究を行っていきました。
その「学習財」研究のなかで、小五のとき、「地雷」に関心を持ち始め、「ノーモア地雷」をお描きになった柴田知佐さんと出会っていきます。

今朝、気づいたこと
10歳小五というお歳の「小さな人」たちとの出会いを想い出していたとき、偶然にしても、いわゆる「女の子」ばかりだなってことに気づきました。
10歳、小五、否、そうしたお歳や性別にかかわりなく、その前かその後に「凄い🤩」とか「驚き‼️」とか、「リスペクト🫡」してしまう「小さな人」はいるはず、と。
当たり前のことですが、わたくしのライフヒストリーの中で、たまたま、それも度々出会った10歳、小五の「小さな人」が想起されただけのこと。

今朝のフェイスブックを眺めていたら
佐藤由佳さんのご投稿男の子の「小さな人」のお話が載っていて、ホッとしました。そして、思わずコメントしてしまいました。
「朝から素敵なエピソード、ありがとうございます。学校や大学から離れて、「小さな人」たちの凄さに気づくことが多くなりました。特に、10歳とか、小五とか。わたくしが学校や大学の先生をしていたときには、あまり出会ったことのない「小さな人」たちです。昨日、投稿した記事も10歳=小五の「半日JD(女子大生)」さんのこと、取り上げましたが、そういえば、これまでのField Notesに何人かいたなぁと想い出し始めています。」と。
その続きが、これ、今朝のnoteです。

P​​ostscript/​​追伸​​
「元小さな人」になってしまった我が家の子たちが「小さな人」だったときのこと、今、想い出しています。「頑張ったね、凄い! お父さんにできないこと」とか、「ええ、こんな絵、描ちゃうんだ」とか……。



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