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日本オリンピックミュージアム(東京都新宿区・国立競技場駅)

みんなが大好きなオリンピック、世界的なスポーツの祭典として国民の誰もが熱狂する一大イベントである、かはさておき、出場しているスポーツ選手、それに関わっている現場で戦うスタッフには心からの敬意を表したいオリンピック。新国立競技場のすぐそばに建てられた日本スポーツ協会および日本オリンピック委員会の本部ビルの中に作られたのが日本オリンピックミュージアムである。

聖火リレーのキャンドルのような特徴的な形をしたビルの1階と2階がミュージアムとして存在しており、施設の外側にはオリンピックの五輪モニュメントをはじめ、これまでに日本国内で開催されたオリンピックの聖火を模したモニュメントも飾られている。日本国内のオリンピックを中心にしながらも、これまでに開催されてきた各国のオリンピックにも少し触れている。現在の入場は完全予約制となっており有料である。

嘉納256と奥に聖火

螺旋階段を上った2階がメインフロアとなる。階段を上がった先には近代オリンピックを企画したクーベルタン伯爵の胸像が出迎え、そこからミュージアムエリアへと入る。目に飛び込んでくるのはこれまでのオリンピックで使用されてきた聖火。ギリシャのオリンピア遺跡にて太陽の熱で採火され、開催地の聖火台へとリレーされて大会期間中だけ灯されるという。

聖火はオリンピックの成果です

オリンピックの起源は古代ギリシャに遡る。戦争や疫病に苦しんでいた背景から、平和を願った人々の思いがあると言われている。ゼウス神にささげる聖なる祭典として戦争を休止して行われたもの。休戦の考えは近代に受け継がれて、スポーツの祭典だけでなく平和の祭典としての一面も持っていたという。古代オリンピックはその後に不正が横行して廃止されることとなる。歴史は学ぶものである。

平和の祭典からはじまっているオリンピック

近代オリンピックは教育者であるクーベルタンによって、教育にスポーツを取り入れることで心身の調和の取れた人間が育ち、やがて世界の平和につながる、と考えられたことから国際的な規模で蘇らせて世界へと広げられた。今も見られるオリンピックシンボルの五輪もクーベルタンによって発案され、1920年のアントワープ大会から掲げられるようになった。なお5つの輪は5つの大陸を表しているものの特定の大陸を意味しているわけではない。

オリンピック讃歌なんてものもある

日本のオリンピックを先導したのは嘉納治五郎。クーベルタンと同様にスポーツが心身を強くする教育であると信念を持っていた嘉納治五郎はアジア初のオリンピック委員として、欧米各国だけで構成されたオリンピック委員会に参画し、そこでの活動がアジア初となるオリンピックである東京大会へと繋がっている。1940年に開催される予定だった大会は戦争によって中断され、実際に実現したのは1964年になる。

やっぱこのデザインかっこいいな

ミュージアム内には実際の競技を体験できる体験型展示がいくつかあり、こちらは老若男女いろいろな人が楽しめるようになっている。バスケットボールやスキージャンプ、射撃もあったりとバラエティに富んでいる。また一角にはパラリンピックの紹介もあり、競技で使用された車椅子なども展示されている。トイレはウォシュレット式。

誰やねん

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