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三鷹市美術ギャラリー(東京都三鷹市・三鷹駅/合田佐和子展 帰る途もつもりもなかった)

三鷹駅の目の前にある商業ビルのコラルに入っている三鷹市美術ギャラリーでは、合田佐和子の展覧会を開催している。もうすっかりお馴染みの場所になった三鷹市美術ギャラリーだけれども、企画展に合わせての常設展である太宰治展示室が休室しているのに出くわすのは初めて。あの緻密な作りを撤去することは考えられないので、パーティションなどでうまく区切り最初からなかったかのように構成される会場づくりに感嘆。

幻想的、怪奇的、猟奇的、アンダーグラウンドの世界を見事なまでに構築した合田佐和子は1960年代に活動を開始した芸術家。その活動開始に至ってはシュールレアリスムの旗手として知られる瀧口修造やビート文学に基点を置いた詩人の白石かずこ等の後押しがあったとされている。幼少期から収集していた廃品や小物を手芸で形取ったオブジェ人形の特異な作品が評判を呼び、また自身の整った容姿から、奇怪なものを作る美人作家として時代の寵児となった。

展示室ではデビュー時の作品を中心にして彼女の歴史を追うような形で作品が紹介されている。針金やビーズ、ガラスといった廃品や小物を使って彩られたオブジェはいずれも謎の生き物のように奇怪で深層心理のドロドロした感じが垣間見える。出産を経て1967年あたりからは卵と蛇をモチーフにした作品、翌年には女性の体をテーマとしたオブジェを創作しており、イトルビと称されたその世界観は性的な匂いが漂っているのも自身の経験が大いに影響しているという。1969年から始めたBOXシリーズは、箱の中に試験管や注射器が用いられたおどろおどろしいモチーフとなっており緊張感が漂う。

やがて画家の三木富雄と再婚し、三木に同行するかたちで渡米。滞在先のニューヨークで過ごした際、偶然に拾った銀盤写真が彼女の作風に広がりを与えることになる。これまでオブジェを中心に三次元の作品をつくっていた彼女が、二次元の世界でも自身の世界を表現できるのではないか、ということに気づき、そこから絵画の作品も手がけるようになる。女優のマレーネ・ディートリヒ、グレタ・ガルボ、エディット・ピアフなどのポートレイトや映画をもとにした作品の他、ルー・リードやブライアン・ジョーンズなど音楽家も採り上げている。

絵画のゾーンを過ぎると次は劇団関連。芸術家として活動を始めた頃から劇団に関わる仕事もしており、唐十郎の主宰する状況劇場・唐組や、寺山修司の主宰する天井桟敷といった劇団関連の宣伝や舞台美術などで参加した作品が紹介されている。またポラロイド写真にも興味を持って写真展なども開催したという。オブジェ作品も並行して制作しており、箱の中に骸骨など退廃的なものを散りばめたスケルトンボックスシリーズもある。

初めて訪れた際に「初めて来たんじゃない」と運命的な既視感を覚えた合田佐和子は、日本での生活を離れて娘2人と共に突如としてエジプトへと永住する目的で旅立つ。しかも場所は首都カイロではなく、はるか地方の村であるアスワンの村。結果的に1年ほどで帰国することになったものの、そのあたりから自動書記の現象が自身に降りてきたり不思議な作品を作るようになる。昏睡状態になったことで自動書記の現象は消えたものの、彼女の内面世界の揺らぎを展示の後半部分から感じ取ることができる。

最後は晩年に描かれた色鉛筆の作品など。ロビーでは彼女の娘で芸術家でもある合田ノブヨによる生前の母親の記憶を辿ったインタビュー映像が放映されている。作品はバラエティに富んでおり、ほとばしるような激情の鼓動が伝わってきそうな衝撃的な展覧会である。トイレはウォシュレット式。

入口 展示室内は撮影不可のようですがガッツリ撮影してる人いて基準がわからぬ


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