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公園通りギャラリー(アンフレームド展)〜Bunkamuraミュージアム(東京都渋谷区・渋谷駅 ポーラ美術館展)

・公園通りギャラリー(アンフレームド展)
国内外のアール・ブリュットの作家を集めた展覧会を行っている。あらゆる枠を超えた想像力の体現、分断化されている世界の風潮を壊すかのように、作品を通して鑑賞者に感じ取ってほしい、という意図を思う。いわゆる正規の美術教育を受けていない人たちが自由に作った作品である。
先天的あるいは後天的な障害を持った人が展示の中心で、基本的に作品は撮影可だが、やはり撮ってほしくない、思い入れのある作品というのも中には存在する。こだわりが強い場合もあるので作家の個性に寄り添った展示方法を考えているように感じた。
年齢も国籍も障害の種類もさまざまある中で、それらの枠を取り払って作品と向き合う時、全く想像もつかないような感性に満ちた作品に息を飲む。であると同時に、健常者とは何であるか、それもまた、想像力の著しく欠けた存在である。語弊があるかもしれないけれど、そういう意味では(カテゴライズされる)障害者と健常者は対等な存在なのだと思い至る。尊大である必要も卑屈になる必要もなく、対等に、それぞれの(生活における)欠点を補い支えながら構築できる社会であるといい。
会場で貸し出されるトランシーバーではコムアイによる解説があり、程よい長さで作品を鑑賞する手助けになる。関連して、土井善晴による料理とアール・ブリュットの関係や、伊藤詩織(川崎出身なのね)による「それぞれの枠」についてメッセージを残す、というアイデアもまた興味深い。
併設された会場では交流プログラムとして、さまざまなバックグラウンドを持つ子供たちが、等身大のシルエットを作って自由にデザインしたものをに光を照射して影絵を作り上げる、というイベントを行っており、これもまたテーマに近しいように感じる。トイレは洋式と和式のみ。もともと渋谷区立勤労福祉会館があった場所で古い建物というのもある。

・Bunkamuraミュージアム(ポーラ美術館展)
箱根にあるポーラ美術館の所蔵品を紹介する展覧会。この状況下で遠出がしにくい社会的風潮の中、都内で作品を観ることができるのは大変ありがたい。
入って目の前に飛び込んでくるのはモネ『睡蓮』の1枚。ここ数日いろいろなミュージアムに行っているが、近代の西洋画を観るのはとても久しぶりだったので、純粋に新鮮で感動する。これよこれ。スタンダードな印象派こそ至上。他にも抜けるような青空の『散歩』(日傘をさす女を想起する)、絵の具の重ね塗りが独特の光沢を見出すルノワール『レースの帽子の少女』『髪かざり』、点描画へのアプローチを感じるピサロ『エラニーの花咲く梨の木、朝』らに混ざってガレのガラス瓶も。
そこからポスト印象派へ。角度が独特なセザンヌ『4人の水浴の女たち』やゴーガン『白いテーブルクロス』、ギトギトなゴッホ『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』、広がる風景に駆け出したくなるボナール『地中海の庭』、セクシーすぎてたまらないラブラード『バラをもつ婦人』やらで花開く。
やがて新潮流へと移りピカソがここに登場。三角形の安定した造形が美しい『母子像』を残して他の作品はもうキュビズムである。展覧会ポスターにもなっているマティス『襟巻の女』は近くで見ると黒目を二重に引いてることに気づく。
舞台はパリを中心に動き、安定の陰鬱さユトリロ『ラ・ベル・ガブリエル』、乙女チックな絵柄が優しいローランサン『女優たち』、ちょうど映画を見たばかりで感情移入が激しいモディリアーニ『ルネ』などをめぐる。キスリングの『ファルコネッティ嬢』は吸い込まれる妖艶さである。好き。
最後に待ち構えるのはシャガールである。よく美術の教科書で見かける『私と村』もある。『オペラ座の人々』は見ていて笑顔になる。微妙に端に書かれた(おそらく)本人。中央の恋人同士の様子も良い。プリっとした尻の楽士、首がすっ飛んでる曲芸師、感情ゼロの鳥など愉快である。
開館したばかりで平日とは言いながらそれなりに人が多く(それでも全ての作品を独占で観ることはできた)、休日などは入場制限ができる可能性がある。朝イチが吉でしょう。トイレは安定のウォシュレット式。言わずもがな。


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