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文京ふるさと歴史館(東京都文京区・本郷三丁目駅)

文京区の郷土博物館機能を持っているのが文京ふるさと歴史館。考えてみれば「弥生時代」の語源である弥生は文京区の本郷。弥生町で発見された土器から弥生土器なわけで、日本の歴史にも深い楔を打ち込んでいる区なのである。

1階と2階とに分かれており、1階ではその弥生町で出土した土器がお出迎え。縄文土器とも古墳土器とも違った特徴をもったことから弥生式土器と呼ばれるようになった。発見者は坪井正五郎白井光太郎有坂鉊蔵の三人で、なんと当時は全員学生だったという。ちなみに坪井正五郎は大泉洋に似ている。

坪井の大泉感が半端ない

また文京区は医療機器産業が栄えた町で、本郷や湯島の周辺には東京23区のうち半分以上の医療機器に関連する事業所が集まっている。ドイツ留学の経験を持った桐藤新三郎が日本初の吸入器を作ったことに始まり、東大医学部が本郷に移転してきたのをきっかけに需要と供給が発展したことが主な理由となっている。他にも山岡次郎によるラシャ染め産業、御法川直三郎によるシルク業の発展が明治から大正にかけて発展した。共同印刷をはじめとした印刷関連の工場も多くある。

みの直三郎

2階は江戸時代の町家についてを紹介。通称やっちゃばと呼ばれた駒込の青物市場、歯磨き粉のかねやす、現金安売りの高崎屋などといった商人から、湯島地域では味噌と麹、音羽地域では紙漉きといった職人まで多く揃った町だった。
大名屋敷も多く、その土地の広さもあって千駄木には鷹匠屋敷、小石川では養生所や宣教師を収容していたキリシタン屋敷などが作られている。明治に入れば寄席の若竹亭、劇場の奥田座が台頭。関東大震災や戦災で無くなるまでは文京区を大いに賑わせたという。

パネル展示も多いけど現物の展示もいっぱいあるよ

文京区はすなわち文教地区でもあり、多くの文化人や学校ができたことでも知られている。幕府の教育施設である昌平坂学問所や福岡藩の誠之館といった藩校などがあったことから学問が栄えたのが理由で、東京大学をはじめ、東洋大学の井上円了、跡見学園の跡見花蹊、日本女子大学の成瀬仁蔵など多くの私立学校や私塾が作られた。

昌平坂学問所って広かったのね

文豪では坪内逍遥、正岡子規、河東碧梧桐らが住んでいた炭団坂や、宇野千代、坂口安吾、竹久夢二ほか数多くの文豪が泊まった菊富士ホテルなど文豪の集まる町だったが、なんといっても森鴎外。現在でも森鴎外記念館が千駄木の地にある。それと青春時代を多く過ごした樋口一葉の存在も大きく、菊坂の地には所縁の場所も残っている。トイレは洋式。

文学館みたいな展示も充実しているのはさすが文京区

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