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外交史料館(東京都港区・六本木駅)

外務省といえば国内の省庁が集まるエリア霞ヶ関にあるが、外務省の管轄している外交資料を展示している史料館は霞ヶ関から離れたこの六本木の地、飯倉エリアにある。外交史料館別館で日本の外交資料を展示している。

重い門を開けるのにやや躊躇しながら入れば、外交史料館別館の入り口がすぐそこに見える。ドアーを入ればまずは吉田茂の銅像がお出迎え。戦後の日本を担った首相で名前だけは知っている。サンフランシスコ平和条約に調印した他は何をやった人なのかはよくわかっていないがとにかく影響力のあった人らしい。ノーベル平和賞の候補にも何度も上がっている。

しげるなのにしげってない

階段を上った2階が展示室になっている。さすがは外務省管轄の場所だけあって、受付は体つきの頑強そうな警備員。展示品には貴重な資料も含まれているので盗難防止の目的もあるのかもしれない。1フロアで広くはない展示室ながら、日本の歴史を知る上で欠かせない資料が大量に展示されている。

展示室は一周まわるくらいの広さだが貴重な資料がいっぱい

外交史料は日本の開国から昭和までに渡る。まずは日米和親条約の批准書や日米修好通商条約の調印書からお目見え。あの教科書で太字になっていた条約である。内容はともかく名前は覚えているあの条約の書面がある。条約書批准書には金属の缶がつながっている。これは蝋缶といい、缶の中にはミツバチから採集した蜜蝋が入っており国璽が押されている。缶はこの国璽を保管するためのものだという。
海外とはじめて対等に結んだ日清修好条規や、日英同盟協約、ポーツマス条約の名で知られる日露講和条約、戦争期には日独伊三国同盟の調印書、それに降伏文書も残されている。複製展示ながらほぼ本物と言っても差し支えないクオリティのものである。どうやって複製しているのか。

書面よりも重そうな蝋缶

特別展示として、旧・日米安全保障条約に関連した史料の原本を展示している。吉田茂とダレス特使による会談記録や、日米間での合意文書、さらに安全保障交換公文がそのまま展示されている。さらに、サンフランシスコ平和条約の受諾演説で吉田茂が実際に使用した演説の原稿が残っている。巻物状になっていたその文書はトイレットペーパーのようだと称されたという。確かにそれくらいの長さがある文書である。直前で仕上げられたため加筆修正が目立っているのが面白い。

トイレットペーパーのようだと言われた

史料館別館を出て、隣接する本館のロビーでも少しだけ展示がある。こちらは杉原千畝の展示を行なっている。日本においてユダヤ人を救ったことで知られる杉原千畝。リトアニアの在カウナス領事館において、ポーランドから逃れてきたユダヤ系の避難民を救ったことがわかる文書が残されている。東京の八重洲地区にあった杉原千畝ミュージアムが再開発のため残念ながら閉館してしまった今、都内で杉原千畝の業績を知ることのできる貴重な史料である。本館・別館ともにトイレは使用できない。

本館側には杉原千畝に関する資料

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