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大山街道ふるさと館(神奈川県川崎市・溝の口駅)

溝の口駅というと武蔵小杉駅の開発も影響して川崎市の中心地となりつつある場所である。駅前に高層ビルが並び立ち始めてきたその溝の口エリアの裏側である西口には未だ戦後の雰囲気が残っているような飲み屋アーケード街がある。その飲み屋街を通って大山街道へと出て多摩川方面へと歩を進め、川崎市を流れる二ヶ領用水を渡ればやがて見えてくるのが大山街道ふるさと館。かつてこの周辺にあった大山街道の宿場を記念してその郷土歴史を展示する目的で作られた施設である。

スロープで分けられたフロアが非常に特徴的な建物は建築家の富永讓による設計。スロープで各階へと移動するというスタイルからバリアフリーにも配慮した作りにもなっている。ただし勾配はある程度あるのでエレベータも利用できる。展示室は地階からスロープを降りた地下の階にある。開館から30年を迎えている施設で、企画展として大山街道の歴史と周辺の二子・溝口で育まれた文化について紹介している。

なかなかスタイリッシュな造り

大山街道とは江戸の赤坂御門から神奈川の伊勢原にある大山までを結ぶ道のこと。江戸時代中期には庶民の間で大山詣りがブームとなり、盛んに利用されるようになったという。大山に参詣した際には太刀を納める習慣があり、中には人間の背よりも高いくらい大きな太刀もあったという。展示室では川崎宿の近藤源右衛門が納めた太刀が紹介されている他、お神酒講と呼ばれる、天秤棒で担いだお神酒枠(小さなお神輿の矢倉のような酒の入れ物)が紹介されている。

これにお酒を入れるだって?!

川崎が生んだ芸術家としてこちらの地域では陶芸家の濱田庄司と文学家の岡本かの子が特にピックアップされている。幼少期に川崎に移り住んだ岡本かの子と、溝口の菓子屋で幼少期を過ごした濱田庄司は、地元・高津小学校の出身ということで(かの子の弟が濱田と同級生)交流があり、かの子が習字を教えたエピソードが残っている。ただし美談というより、かの子が習字に爪の痕をなぞらせる方法を伝授し素直に信じて提出した濱田が評価をもらえず、祖父から「自分の思うように元気よく書いてごらん」と諭されたという、かの子の悪戯っぷりが窺えるエピソードである。

川崎っつったら濱田庄司

また小説家の国木田独歩も溝口の亀屋旅館で田山花袋、柳田國男、島崎藤村らと集ったことや小説『忘れえぬ人々』に亀屋の主人との思い出を描いたりしている。二子の亀屋旅館でもこちらは詩人である佐藤惣之助がよく句会を行なっていたという。江戸からそう離れていない土地というのもあって文人たちの交流も盛んだったのかもしれない。

亀屋旅館によく集まった文人たち

トイレはウォシュレット式。スロープを上がった2階には休憩室があり、各フロアのスロープにはパネル展示が充実している。面白かったのが、濱田庄司の母方の血縁には溝の口を天然痘から救った太田良海・東海という医師の親子がおり、さらにその太田良海から血縁で医師の手塚家と繋がっている。医師の手塚、といえば後に漫画家になった手塚治虫。つまり濱田庄司と手塚治虫は遠縁にあたるというのも不思議な縁である。

めっちゃ遠くで繋がっている手塚治虫と濱田庄司


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