小金井市文化財センター/浴恩館(東京都小金井市・武蔵小金井駅)
武蔵小金井駅からほどよく歩いた先にある江戸東京たてもの園。たてもの園が入っている小金井公園の南側、玉川上水を挟んだ向かいにあるのが小金井市文化財センターである。浴恩園という敷地の中に、青年団講習所として使われた浴恩館を改修して小金井市の郷土博物館としての機能を持った建物として残されている。
小金井市の歴史をメインに紹介しており、原始・古代・中世コーナーでは小金井にある遺跡から発掘された土器や板碑をはじめとして、桜の名所として知られた玉川上水沿いを浮世絵などと一緒に展示している。小金井堤は水害を抑えるために盛られ、花見客によって踏み固められるようにと桜が植えられたという歴史を持っている。歌川広重、揚州周延や川瀬巴水、山本松谷といった絵師によって題材とされており、当時は相当な賑わいだったことが偲ばれる。
近代にいたると養蚕業が盛んだったこの地域ならでは、数々の機織り機が展示されていたり、生糸を採るためのたくさんの農具が展示されている。東京農工大も養蚕から発展した大学であることを考えると、この地域における養蚕業はのちの技術革新に大いに関係があったと考えられる。
浴恩館で有名な文学者として下村湖人がいる。教育者だった下村は友人であり日本青年館の設立理事であった田澤義鋪の招きを受けて浴恩館の青年団講習所長を務めた人物でもあり、浴恩園の敷地内にあった空林庵を宿舎とし、ここで講習生と触れ合い語り合ったことから代表作である『次郎物語』の構想を練ったという。『次郎物語』の作中にも浴恩館と空林庵をモデルとした建物が登場する。
ここで注目したいのは本館から渡り廊下を通じて離れにある南寮。青年団の寮を彷彿とさせる畳敷きの和室で、ここで青年団は集団で風呂に入り雑魚寝して過ごした。軍部の介入から次第に青年団が軍事教練の場として使われ始めると下村は職を辞し、以降は浴恩館は戦争の流れに組み込まれてしまう。戦後になり青年団が自然消滅して行くと共に青少年センターとして浴恩館は復活、現在の文化財センターへと至っている。南寮では『次郎物語』のパネル展示もある。トイレはウォシュレット式。
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