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凧の博物館(東京都中央区・三越前駅)

肌の黒いシェフでよく知られている茂出木浩司シェフが腕を振るっている西洋料理たいめいけん。日本橋にある本店たいめいけんのすぐ近くにあるのが凧の博物館である。空を飛ぶあの凧。カイトである。なぜ突如としてたいめいけんを挙げたかというと、凧の博物館を管理しているのがたいめいけんだからである。

なぜ洋食屋と凧が関係しているのか、一見すると全く関係がなさそうな両者であるけれど、答えは簡単で創業者でもあり初代シェフである茂出木心護によるコレクションだったのためで、創業者の趣味だった凧のコレクションを中心に博物館として独立させて展示しているのである。今では二代目にあたる雅章氏や三代目に当たる浩司氏も初代から遺志を引き継いで凧の啓蒙をしているという。

茂出木心護氏の銅像

1フロアの館内ではガラスケースに国内外の凧が多く展示されている。海外の凧の中ではアメリカ軍の航空に対する機銃掃射の練習に「ターゲットカイト」という凧が使われていたのだという。他にもインドやタイ、マレーシアにアフガニスタンなど世界中のバラエティに富んだ凧が展示されている。

凧の起源は紀元前まで遡る。紀元前3世紀頃に中国で木製の鳶凧が造られたのが始めとされ、そこから戦争にも使われるようになった。楚漢戦争では測量として凧が利用されたという。西洋ではフランクリンが凧を利用して稲妻が電気であることをつきとめたことなどが知れれている。一般的な遊びとなったのは1000年ほど前の中国で、この頃から世界へと伝播した日本でも平安時代に入ってきて、貴族階級で遊ばれていたという。

凧の種類も多岐にわたる

一般的に広がったのは江戸時代。折りしも浮世絵が全盛期ということもあって、桃太郎や金太郎のほか、源義経や水滸伝など当時の人気だった浮世絵を使ったデザインの凧が多く展示されている。その凧のデザインは現代でも受け継がれており、手描き江戸凧では橋本禎造という絵師を紹介している。仕事場の再現もされており、実に多くの塗料を使用していたのがわかる。

仕事場の再現

トイレはウォシュレット式。現在も凧揚げの会として「日本の凧の会」が運営されている。あまり観られなくなってきた日本の原風景である凧揚げ。見直してみる良い機会かも知れない。


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