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馬込文士村資料展示室(東京都大田区・大森駅)〜山王草堂記念館&尾崎士郎記念館(同上)〜大田区郷土博物館(東京都大田区・西馬込駅)

大森駅から西馬込駅の周辺にある馬込・山王地区は今でこそ高級住宅街であるけれど、かつては小説家や画家などが集まって文士村というのを形成していた。現在でもいくつかその名残として記念館などが点在している。以前に大森周辺に来た時にその一部を回ったのだけれど、坂道は多いわ道は曲がりくねっているわで、とてもじゃないが全てを見て回ることなどできなかった。今回はそのリベンジを兼ねて、前回の訪問で見られなかった場所を訪ねてコンプリートしようという試みである。行程にしておよそ6時間。歩き続けるというもはや苦行である。


・馬込文士村資料展示室

大森駅山王口を出ると、すぐに文士村のモニュメントがある。道路を渡って階段を登って行くと文士たちの顔のレリーフ、さらに代表的な文士たちがどのように過ごしてきたのかなどの説明板があり、地元の人たちは普段から見る光景なので先を急ぐ中、いちいち立ち止まってふむふむと読み込んで交通の邪魔をしてしまう。この文士村の各所にこういった説明板があり、散歩がてら探してみるのもまた一興であるが、とにかく道が複雑なので決して薦めはしない。

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地図を頼りに向かう馬込文士村資料展示室は大田区立山王会館の1階にある。一見するとただのマンションであるため、正直いってどこが入り口かわからない。迷いながら敷地内に入ると、集会場の一室がその展示室として開放されている。

恐る恐る入ってみるが誰もいない。スタッフすらいないという状況。ご自由に見学ください、と触れ込みがなければ入れないところである。
靴を脱いでスリッパに履き替えていざ入ってみると、まさに集会場そのもの。畳敷きの和室、左右に洋室がある。特にパンフレットのようなものはない。HPを調べてみると、散策する際の拠点として想定されているそうで、わざわざこの場所のみを目的に来る人間はあまりいない様子だった。和室には文士の一人である尾崎士郎による「人生劇場 望郷篇」の書が飾られている。
洋室の片方はその尾崎士郎と宇野千代の作品展示のために設けられている。燃えるような恋愛をして半ば駆け落ちのようにしてこの地へ行き着いた二人の生涯を、当時の貴重な原稿とともに解説している。俳優の宇津井健が尾崎士郎の大ファンだったようで、尾崎士郎に憧れて上京して長じて後援会の会長を務めている。宇津井健の結婚式には仲人となっていたという意外な交流も紹介されている。
もう片方の洋室はその他の文士について。山本有三、村岡花子、高見順、吉屋信子、和辻哲郎の紹介と当時の生原稿が展示されている。これらは残念ながら撮影はできない。著作権の関係だろうか。いずれにしてもこの貴重な資料を誰もいない一室に展示しているのはすごい。ただし監視カメラが常に光っている。トイレは洋式。


・山王草堂記念館

大森駅へ戻り今度は坂道を登って北口へ。山の上の方にあたる。大森といえば大森貝塚が有名で、大森貝塚公園もこちらの北口からが便利である。今回はそこへは行かず、ジャーマン通りをひたすら西進する。なにがジャーマンなのか、ドイツに関わるような建物はないな、なんて思いつつ勾配でうねっている道をしばらく歩き、疲れ始めてきた頃に山王草堂への案内板が見えてくる。

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山王草堂は徳富蘇峰が住んでいた住居で、広大な敷地は今は蘇峰公園として開放されている。今回、専門の学芸員によるギャラリートークが開催されるということでそれに参加することに。黒崎さんという40〜50代くらいの方。詳しい上にユーモアがあって好人物。独身。
徳富蘇峰。ご存知、徳富蘆花の兄である。有名ですね。兄弟そろってめちゃくちゃな名前、と言いたいところだが両名ともに号で、猪一郎と健次郎である。兄は右寄り、弟は左寄りの思想だったのもあって仲は良くなかったらしい。

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徳富蘇峰は新聞社の主筆として、軍国主義へと走っていった日本を牽引していた一人でもある。そのため戦後には民間人にして唯一の戦犯として罰され、全ての公職を辞すことになったという、評価の難しい人。近年では大河ドラマの影響で再評価がされはじめているそうです。ちなみにギネスブックで「最も多くの作品を書いた人物」として表されているらしい。その割に作品を知らないのは、その内容が小説ではなく評論だったりするからなのだろうか。

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徳富蘇峰の歴史は幕末にさかのぼる。地元肥後の有力者である父の関係により、維新十傑の一人である横井小楠の元で研鑽を積み、早いうちから幕府との取次を行っており、そこで出会ったのが勝海舟。おいしそうな名前十傑の一人である。勝海舟に気に入られ、一家丸ごと勝海舟の邸宅の中に屋敷を用意してもらい住み込む、というものすごい関係を築き上げている。
やがて倒幕によって勝海舟は閑職へ追いやられるが、そのあとも師弟関係は続いたそうである。勝海舟といえば坂本龍馬との関係性も有名だけれども、むしろ徳富蘇峰との関係の方が深そうである。洗足池に勝海舟の記念碑があるのだけれど、その建立には徳富蘇峰と五島慶太(東急グループ創設者)が絡んでいる。

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やがて蘇峰は國民新聞を創刊し、その主筆となって日本に新聞の文化をもたらすきっかけをつくる。ちなみに新聞の挿絵は画家に依頼していたらしく、黒田清輝なども蘇峰の父を描いている。さまざまな人物と交流があり、作家の吉屋信子や佐佐木信綱、与謝野晶子に新島襄(のちに彼の影響で受洗している)、はては真言宗僧侶の大谷光瑞まで、ここまでくると一種の実業家のようなものである。その影響もあってか有力者とのパイプも強く、のちに桂太郎内閣にも相談役として参加している。かの渋沢栄一とも関係を築き上げて後に国士舘大学の創設に尽力しており、山王草堂はそんな結果もあって財をなして築き上げた邸宅で土地は1500坪にも及び、現在は本宅の2部分が残されて展示されている。とにかく怪物であった。割に悪い評判がなかった、というのがまた不思議なところでもある。トイレはウォシュレット式。


・尾崎士郎記念館

普段は外側から見るだけのこの記念館、ギャラリートークで紹介されている時のみ入居することができる。尾崎士郎がかつて住んでいた邸宅で、山王草堂の目と鼻の先にある。

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かつて宇野千代と駆け落ち同然に馬込へ来た時に、それを新聞記事としてすっぱ抜いたのが徳富蘇峰の国民新聞で、そのゴシップ記事には有名だった宇野千代に寄り添う若い燕みたいな表現をされ、尾崎士郎は大きく傷ついた挙句、山王草堂に立ち小便をしたという逸話もある。そのあと論争に発展するかと思われたこの問題は関東大震災でふっとび、いつの間にか仲良しになっているわけである。
宇野千代との関係は長く続かず、自分よりもはるかに売れているのに甲斐甲斐しく尽くす妻に苦しくなってしまったという尾崎士郎。うーん、表現者であるが故の弱さ。嫌いじゃないぜ士郎。わかりみが深い。記念館のある旧宅は宇野千代との離縁後に再婚して戦後になってから移り住んだ場所。相撲に興じていたらしく、庭には稽古をした樹がある。

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原稿を執筆していた机も当時のままで残っている。酒を飲みながら仕事をしていたタイプの人間で、その点でもとても親近感が湧く。朝起きて駆けつけでクイッとね、わかりますよ。そうです、そうでなくちゃエンジンはかかりませんよね。結果それで早死にしてしまうわけだけれど、本人は別に後悔していないだろうと思う。最終的にヒット作にも恵まれたし。

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と勝手な言い草だが、驚いたのはその墓地が神奈川県の生田緑地にあるということ。個人的な話だが親族の墓があるためさらに親近感が湧いてしまった。トイレは洋式。


・大田区郷土博物館

再びジャーマン通りへ出て環七通りを渡り、西馬込駅方面へと進むと見えてくるはずの大田区郷土博物館。

見えてこない。
道がわからない。
地図が現在地を示さない。
全く解決の糸口がつかめない。

点在する説明板を読みながら検討をつける。
検討が外れて知らない道へ出る。
案内板もない。
全くわからない。
バッテリーが無くなる。
泣きそうな気持ちになりながら方向だけは正しいはずと進む。

もう少し案内板とか地図をしっかりしてほしい。

文士村として振興して行きたいのなら、地元民でなくてもわかるようにしてほしいものである。
コミュニティバスとかあったほうがいいと思う。年配の人なんかこの坂道は絶対に廻れない。
最初は採算がとれないかもしれないけれど、主要な顧客になると思うのだけれど。
そんなことを考えながら30分以上うろうろしていて、ようやくたどり着いた郷土博物館。前回おとずれた時もだったけれど見学者はおらず、おそらく普段からガランとしている模様。くつろげる場所もあるからいい時間つぶしにはなると思うのだけれど。
3階で馬込文士村についての資料を大量に展示しているコーナーがある。展示室に入ってすぐに馬込地区の巨大なジオラマがあり、まさに先ほどまでさまよってきた地域の勾配が強烈だったことを改めて思い知らされる。すぐ横には馬込文士村にいた著名人たちの年表がある。画家の川瀬巴水(先日までここで特別展を開催していた)や室生犀星、萩原朔太郎など、それなりに名前の知られている人や、現在ではあまり有名でない文士の人たちまで多くの人が地区の各所に点在していた。
画家の絵や作家の生原稿の展示など、貴重と思われる資料をじっくりと見ることができるのに無料である。スタッフもいない。なんというか、ゆるい。個人的には悪くない傾向だけれど。
企画展では「せんべい屋店主、大田を撮る!」と称して、羽田で生まれ育った横山宗一郎氏によって遺されたかつての大田区の景観写真を展示している。
2階は考古学に寄った展示。大森貝塚など、この地区には多くの生活の痕跡が残り、古墳やら土器やらが大量に出土しているそう。ふむふむ。興味深いですな。トイレはウォシュレット式。


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