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青山学院大学間島記念館(東京都渋谷区・渋谷駅)

都内にある大学のミュージアムもだいぶ攻略できてきた中、今回は渋谷にある青山学院大学をいざ攻略しようと訪問。これでいわゆる早慶GMARCHのうち、どうやらミュージアムの無さそうな中央大学を除いて全て攻略することに。
プロテスタントの司祭であるジョン・ウェスレーの巨大な像が聳える正門をくぐり真っ直ぐに進むと、ロータリーの先に見えてくるのが青山学院大学の資料センターが2階に入っている間島記念館。意外にも見学者が数人いる。

ミッション系の大学である青山学院大学は、規則正しい生活をすることをモットーとするメソジスト運動に基づいている。正門に建っていたジョン・ウェスレー司祭がその創始者で、資料センターではそのメソジスト運動についての解説や、キリスト教と日本における教育の関わり方についてをまず紹介している。珍しいところでは、キリシタン禁令の中で胴にキリスト像を隠した戦国武将の鎧や、宣教師のロバート・マクレイが伝道用に使用した幻燈機が展示されている。

ジョン・ウェスレー司祭

青山学院大学はもともと宣教師ドーラ・スクーンメーカーの設立した麻布の女子小学校が始まりとなっている。こちらの設立には津田梅子の父である津田仙も協力し、青山学院大学の創立記念日もこの女子小学校の創立日になっている。その後、築地の耕教学舎(後に学部長になるジュリアス・ソーパーが設立)、横浜の美會小学校(ロバート・マクレイが設立)もでき、それらが徐々に合流を重ねながら青山学院を形成していった。

現在の青山の地に移るに際しては宣教師ジョン・ガウチャーの資金援助があったとされる。まさに宣教師たちによってできた学校と言える。院長の本多庸一もまた日本メソジスト協会の初代監督である。展示室にはマタイ伝の七章十二節「全て人になられんと思うことは人にもまたその如くせよ(人にしてもらいたいと思うことはあなたも人にしなさい)」の文が残されている。

正門も重厚感ある

いくつか特徴的な校舎もあったことで知られ、実業家の勝田銀次郎の寄付によって作られた勝田館(辰野金吾が設計)、時計台の神学校と呼ばれた神学科校舎、ガウチャーの寄付で作られたガウチャーホール(取り壊し後は隣接して新ガウチャーホールが建てられる)といった建物は惜しくも関東大震災で崩壊してしまうことになる。

卒業生にはロータリークラブを設立した米山梅吉・はる夫妻をはじめ銀行家も多く、資料センターのある間島記念館は米山の後輩でもある間島弟彦の寄付によって建てられたもので、かつては図書館として使用されていたという。間島と同じく米山の誘いで三井銀行へ入行した万代順四郎も多額の寄付をおこなったことで名を連ねている。

間島記念館の外観 神殿みたいである

もう一つの展示室では幼稚園、初等部(洋上小学校である「かとれあ丸」の模型もある)、中等部、高等部、女子短期大学、大学といった様々な世代に向けられて作られた学校の紹介や映像による歴史の案内もある。2015年にはその景観から世界一美しい大学の2位に選ばれている。トイレは洋式とウォシュレット式。すぐそばには同じく国登録有形文化財に登録されている青山学院ベリーホールも残されている。

一目で歴史ある建造物だとわかるベリーホール


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