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中村屋サロン美術館(東京都新宿区・新宿駅)

新宿駅東口、紀伊国屋書店のすぐ目と鼻の先にある新宿中村屋。インドカリー、中華まん、月餅、クリームパンといった商品を世に広めた、創業から120年にもなる老舗である。その新宿中村屋ビルの3階にあるのが中村屋サロン美術館。創業者の相馬愛蔵と黒光夫妻によってかつて文芸サロンが創設され、多くの文化人がそこに集ったという。

創業者の名字が相馬なのになぜ「中村」屋なのかというと、もともと東大前にあったパン屋の「中村屋」を相馬夫妻が買い取って創業した際に、人気だった屋号をそのまま使ったことから始まっている。そこからまさか120年も続く店になるとは。

展示室は2部屋に分かれており、手前の展示室では中村屋の歴史と、そこに集っていた人物たちの紹介がある。サロンの中心人物であったのが彫刻家の荻原碌山や画家の中村彝、それに會津八一。まさかの八一。早稲田大学でお世話になった八一。瓦屋根でおなじみの八一。こんなところで再会するとは夢にも思わなかった。八一は「中村屋」看板の揮毫を行ってもいる。ちなみに現在よく使われる中村屋の看板は中村不折によるもの。こちらも展示されている。

サロンには海外からの人物も訪れている。ロシアから来た盲目の文学者エロシェンコ、インドから来た独立運動家のボース。ボルシチやインドカリーは彼らによって中村屋の看板メニューとなっている。ボースに至っては相馬夫妻の娘である俊子と結婚している。またレストラン従業員の制服はエロシェンコにゆかりのある民族服ルバシカから採用されている。レストランには荻原碌山の手による灰皿が置かれていたり、サロンのメンバーとの関わりはかなり深いものだった。

奥の展示室で今回は収蔵品の展示を行っている。まず目に飛び込んでくるのが荻原碌山の手による『女』で、これは明治以降の彫刻で第1号となる重要文化財の指定を受けている。かなりの近距離で見ることができるため、細部にわたってどのような造形になっているのかまで知ることができて興味深い。特に、全てを精密にうつしとるのではなくて適度な粗さを残しているのがかえって際立っている。モデルは相馬黒光だったと言われており、パトロンの夫人に思慕の感情を持ってしまった碌山の切なさが表情に見えるかのようでもある。もう一つの作品『鉱夫』もある。

絵画コーナーでは斎藤与里、柳敬助、高村光太郎の作品に続いて中村彝の作品がある。美術館のチケットにも採用されている彼の筆による『少女』が美術館の目玉とも言える。モデルは相馬夫妻の娘である俊子で、一時期は二人は恋仲にあったとされているが、様々な要因によって結婚には至らず中村彝はサロンを去り、俊子はボースと結婚するという結末を迎えている。

棟方志功による羊羹掛け紙や、布施信太郎による包装紙の原画、また會津八一による茶器の下図なども展示されている。つい先日、大名時計博物館で棟方志功の色紙を見たばかりだったのもあって少し感慨深い。世間は広いようで狭いのだということを思い知らされるのであった。トイレはウォシュレット式。


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