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Let Downを聴いてた頃のこと

今めっちゃ久しぶりにRadioheadのLet Downって曲を聴いてみているのだけど。
これ聴きながらだとなんかうまく書けないから曲変えよう。笑

この曲、『OK Computer』っていうおそらくは一番有名なアルバムに入ってて、歌詞と和訳を少し引用すると…

let down and hanging around
失意のままさ迷い続ける
let down again
そして何度も絶望する
you know where you are with
そうだ 其処がお前の場所
you know where you are with
絶望と共にお前が居るべき場所

とまぁ、こんな感じの曲で。
この曲にどハマりして何かに救いを求めるみたいに毎日のように聴いてた頃があったんやけど、その頃の話。



昔、事務職で働いていたとサラッと何度か書いたことがある気がするけど、ちょっと特殊な…とある分野の専門機関みたいなところにいて。
社会人になって初めて就いた職場で5年ほどそこにいた。

一つの組織の中にいろんな部門がある組織で、私はそこで広報出版の仕事を主にしていて。
…と言っても、この仕事をしていたのは私一人。
一年目こそ上司が一応一人いてくれてたのだけど、二年目以降はずっと一人。
一人でその分野の本の出版とか組織の広報誌の編集発行を任されてしていたのです。

これね、一見何やらすごいことしてたみたいに思えるじゃないですか?
ぜんっぜん!なんっもすごくないの。笑
だってそこで働く人、誰もこの仕事したいとは思ってなかったから。

広報誌の仕事なんか最悪で。笑
月刊紙だったんですよ。(今もあるけどね。)
地味に発行部数も少なからずあって。
なんだけど、誰も記事を書きたがらない。笑
一応、年間の台割決める会議が年度の最初にあって、各部署集まってこの月の特集はどこどこの部署が担当してこういう記事を載せましょうって決める。(これがまたいろんなコーナーがあって一度に載せる記事の数も多いから決めるのも超難航)
で、やっと決まって、決まるんだけど、これが守られない。笑
まぁ締め切りまでに原稿が自発的に出てくるなんてことはほぼ無くて、毎回編集担当の私が執筆担当の人のところまで出向いて、いかがでしょうか〜?ってお伺いを立てるんやけどね。

私二年目の新人、あちらはベテラン。
「ごめん、今から書くわ」、これが一番多い回答。
「忙しいの、わかるよね?」って軽くキレられる、これもまぁよくあった。
「今回書けないわ。そっちで書いて」、はいこれ来たー、最悪なやつ来たー!ね。笑

ホンットそんな感じで、締め切り過ぎても記事が集まらなさ過ぎて、慌てて誰かの代わりに取材行ったり、記事そのものを私が代筆することもよくあって。
なんせマニアックな機関紙だからその都度よくわからん専門書とか読みながら必死になんとか書くんだけど、書いたら書いたでね、刷り上がったゲラを確認してくださいって本来の執筆担当だった人に見せに行ったら、めちゃくちゃ訂正指示だけは入って返ってくるという。笑
「なんかちょっと履き違えてるわ」とか言われたりして。
内心、(ソンナラ オマエガ カケヤー!)って何回思ったかしれん。笑
今これ書きながらも得体の知れないストレスがじんわり来るくらい。笑

それとかね、めちゃくちゃ支離滅裂な…って言ったら失礼なんだけど、基本的な"てにをは"がおかしかったり、何回読んでも意味がさっぱりわからんかったり、400字のところを600字で書いてこられたりとか、そういうのもよくあって。
もう直すしかないから直すんだけど。
プライドの高い人たちの集合体だったから、ガッツリ直してゲラ見せたらそれはそれでブチギレられたりね。笑
別室呼ばれて一時間くらい先輩舐めんなみたいなことを優しい口調の笑ってない目で延々言われたりとかもあったな。(あの人超怖かった…まだいるらしいけど)

段々そういうの回避するために、多少変な言い回しはあえて残したりとか、印刷会社さんにレイアウト変更お願いして無理やり字を入れ込んでもらったりとかもしたな…。
印刷会社も印刷会社で私が出版の知識ないのを知ってるからなかなか当たりがキツくて。笑
こんな締め切り過ぎて出されても発行日守れませんよって何回もガチで怒られた。
まぁ、ごもっともなんだけど。

この頃は朝から晩まで、行き帰りの電車の中、最悪家に帰った後も何か書いてた気がする。
しかもそれがね、毎月毎月なんですよ。
何度も言うけど、一人で。笑
休んだら作業だけが遅れる。ほかにする人いないから。
組織の広報誌だから発行日は遅らせられない。
毎日プレッシャーとストレスとで吐きそうだった。

でも…これは私だけじゃなくて。
組織自体がそういう個人の能力に過剰に依拠した社風で。いや、こんな感じでも個人の自由な発想を良しとする一面があったらまた違うのだと思うのだけど(外資系企業とかベンチャー企業とかそんなイメージあるけど)、私がいたところは組織としてはお堅い、従来の古いやり方を重んじるところだったから。
新しいやり方や効率的な方法、自由な発想なんかは必要なくて、これまでの正統とされるやり方で、一人で頑張れと。
そんなんだったから離職率、有病率も非常に高く。苦笑
誰も他の人を気遣う余裕が無くて必死。
そしてそのうち抱えきれなくなった人が折れる。
そんな感じで私の同僚だった彼女もあるとき居なくなってしまったのだけど…。

…書くだけで暗い気持ちになるからこの頃の話は封印しておこうと思ってたんやけどなんか書いてしまった。笑

ずっとね、この頃の経験が自分にとって何の意味があるのかわからなくて。
なんのためにあそこに5年もいたのかなって。
でも最近実はちょっとだけポジティブな意味づけができるようになってきてて。

あの頃の経験があるから、書くことのしんどさがわかる、そうやって書いたものが否定される辛さがわかる。笑
今もね、夜通し何やら一生懸命書いて…え、もしかして昼まで?ええ、夕方までか?もしや寝てないんかいー!?みたいな感じで(笑)一日書く仕事をしてる人を見たらね、ホントすごい頑張ってるなって心から思えるから。
そしてそれがすんなりいかないしんどさも、なんとなくわかる。

わかるから何って感じではあるんやけど。
絶対に超ストレスやろうから大丈夫かなぁ?って。
なにか気の抜けるホッとするようなものがあればいいなと思ったり。
…そんな感じ。

顔から生気が抜けちゃうくらいなら少し休んでぶらっと旅に出てもいいんじゃなかろうか。
推奨します。笑

私はそうやってなんとかやってたから。
休みは思いつきで旅したり、とにかくたくさん、心が死なない努力をしてた。笑
音楽や物語に触れたり…ちゃんと生きてる人たちが動く姿を観に行ったりね。



めっちゃ長くなった。

あ、もう一個だけあの頃の経験が生かされてることあるな。
このnote。
何も考えなくても言葉がするする出てくるのはあの頃のおかげかも知れない、なんて。

そう考えたら本当に人生には無駄な経験って何もないのかもしれないね。



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