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滝行

今回の滝行。
言葉にはなりませんが、個人的にちょっと嫌な予感がありました。
なので前日には断食、前夜には日本酒を飲み、身を清めて臨みました。

終えてみると、思考の垢の様なものが剥がれたのか、気分はすっかり明瞭になりました。

相模師範から滝行のお誘いを頂いた時、今年は這ってでも行きたいと直感していました。
集合場所には始発と新幹線でなんとか間に合うので、当日はギリギリ参加する事が出来ました。

今年に入って心身共に不調が続き、年のせいも考えましたが、どうも違う。身が締まらない。
原因をよく考えたら、ある事に気が付きました。

それは、今年は水垢離行をやめた事でした。

水垢離は家の風呂場で冷水シャワーを浴びて行っていまして、去年までの6年間、風呂上がりには欠かさず続けていました。
でも今年は敢えて行を辞める行に臨んでいました。

これまで水垢離で清めていた何かが、辞めた事で蓄積していたのかもしれません。

ここで行を頼る事の意味について、深く考えさせられました。
つまり、水垢離には確かな効果があるけれど、やめた位でこんなに不調になるという事は、依存的なのではないか、という事です。

日頃から身を整える事の難しさと、修行について、滝行で心身爽快が故に思う所がありました。

これは、修行をやる事、辞める事、の両方を経験したからこそ見えてきた課題なので、自身の新たな成長機会とも捉える事が出来るかもしれません。

これからは、内観的に自己観察をして、必要ならば水垢離といった行で整える事を選択出来る様になりたいと思っています。

修行にも、守破離に似た構造があるのかもしれないと思った今でした。

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