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憤りと失望、でも希望をもちたい
いつもは、楽しく、カジュアルに、弱視難聴の日々を発信している奈良里紗です。
そう、今日はちょっと憤りを感じているので、他のs九、わくわくという気分ではないのです。
私は、改めて、ある意味特殊で、恵まれた環境にいたことを痛感すると同時に、今、まさに環境が整わないから苦しんでいる視覚障害学生のことを思うと、悲しく、つらく、憤りを感じてしまうのです。
大学に限らずではありますが、視覚障害学生も等しく授業料をおさめ、彼らには障害のない学生と同等に学ぶ権利があります。
しかし、なぜか、社会は彼らが学ぶにあたり、できないことがあると、家族や友達をたよって解決するようにいうのです。
えっ?
インフォーマルな支援は確かに大事。
学食にランチにいくーとか、
サークルで活動するーとか、
オフィシャルな大学の学びではないところは確かに友達管轄。
でも、授業の課題とか、授業の資料をポータルサイトからダウンロードするとか、こういうのって友達にやってもらうものじゃないと思う。
少なくとも、私が学生だったときには、きちんとそれを支援してくれる人がいた。
学びのための社会的障壁を作っているのは大学なのだから、それを解決するための人的サポートを提供するのは当たり前のこと。
これが聴覚障害だと授業における情報保障ということでわかりやすいのか、予算も人でもつきやすい。
聴覚障害学生は支援してもらっているのに、視覚諸具合学生への支援は提供されていない大学がまだまだある。
18歳そこらの学生に、大学教授と対等に対話することを求めるのはあまりにも・・・と思うのは私だけ?
かつての私も、新しい楽器のはじまりは相当きつかった。
あのときより、社会はよくなっていてほしい、そう願う。
少なくとも、今、自分が視覚障害学生にしていることはもしかしたら人権侵害かもしれない?ということに気づいてくれる人が一人でも増えたなら。
ちょっと、血管きれそうなので、マインドフルネスの世界へいってきまーす。笑
一人じゃ何もできないので、皆さん、お知恵を。
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