誰にとっての何のためのインクルーシブ教育なのか@イギリス
楽しく、カジュアルに、ときには真剣に、弱視難聴の日々を発信しております奈良里紗です。
突然ですが、皆さんは教育における差別とは何だと思いますか?
日本は昨年、国連に勧告を受けていますが、日本のように障害のあるこどもとないこどもとが、学びの場をわけていることは差別的扱いになるのでしょうか。
例えば、本人と保護者が、地域の学校で学びたいと希望しているのにそれを拒絶することは差別ですか?
では、本人と保護者が特別支援学校で学びたいといっているのに、地域にいかせることは差別ですか?
日本から特別支援学校をなくすことこそが、真のインクルーシブ教育だと思いますか?
同じ場で多様に学ぶことこそが真のインクルーシブ教育だという意見もありますが、個人的には多様な場で自分らしく学ぶことがインクルーシブ教育ではないかと思うのです。
その点、多くの国が特別支援学校を廃止することで、障害のあるこどもや保護者から1つの選択肢を奪っていると感じています。
実際に、イギリスにきていろいろな人とこの議論をするのですが、やはり、どこもかしこも同じ場で多様に学ぶことはうまくいっていません。もちろん、一部の予算があり、教師としての資質・脳六のある人材が豊富にあるところではうまくいっているところもまれに存在します。
少なくとも、視覚障害のように視覚を用いることを前提に考えられた教育システムになじまない障害のあるこどもたちは、無理やり地域の学校へいかされて苦労を強いられているようです。
そして、1週回って、ウェールズの議会では盲学校を新設する議論がはじまったんだとか。
さて、日本には65校の盲学校があります。インクルーシブ教育を実現するために、これらの盲学校を減らすべきだという意見もあります。果たして、そうなのでしょうか。一度、減らして苦労して、結局、新設する流れになっているイギリス、スウェーデンなどから日本は学ぶべきではないでしょうか。
もちろん、イタリアのように1クラス6人に対して教師が1~2名、点字も難しいルールをなくして簡略化しちゃうなど、大胆な改革をすれば、フルインクルーシブ教育は実現するのかもしれません。
フィンランドの人から、100年前のフィンランドだねと苦笑されている日本の1クラスの定員35人~40人を20人にすることすら難しいのに、6人にまでできるのでしょうか。
加えて、イギリスでは、インクルーシブ教育を下支えする専門教師の養成に政府が莫大な予算を投じています。それでも、うまくいかないのです。
ひと・かね・もの、3拍子そろってもなお実現には険しい道のりがあるインクルーシブ教育。
私は日本のように、4つもの学びの場から自分にあった学びの場を選べる仕組みがあることは世界に誇っていいと思うのです。もちろん、その先での教育の質の問題はありますが。
スウェーデンでも、イギリスでも、インクルーシブ教育を推進する中で、優秀な視覚障害者が育ちにくくなっているといわれています。今、社会で、世界で活躍している視覚障害者の多くが、盲学校で教育を受けています。もちろん、地域の学校で育った人もいます。ということは、やはり、盲学校という選択肢を排除しないことが大切なのではないでしょうか。
イギリスからみた日本、なかなかいけてますよー!
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