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障害者にとっての1番のバリアは家族

障害とは社会の人々によって生み出されるものであると言う社会モデルの考え方はここ数年で急速に社会に根付いてきていると感じている。
私が障害のある子どもたちの支援をする時、1番の障害になっている者は親であると感じることがある。
ちょうど、恋です!ヤンキー君と白杖ガールの第3話でもこのようなテーマが取り上げられていた。
障害のない家族から見たら私たち障害者がすること全てが危険に感じるのだと思う。確かに、信号の色が見えないのに周囲の音情報だけで横断歩道を渡るのは結構危険だし、悲しいことに毎年何人かの視覚障害の方がホームから転落してなくなる。白杖を持って歩いていることで犯罪に巻き込まれるリスクも高まるかもしれない。このようなマイナスの要素は書き出せばきりがない。
私自身もそうだし、私の周りにいる視覚障害のある人に目を向けてみると、私たちがやりたい!挑戦したい!と言ったことをきっとものすごく心配なのだろうけど一生懸命応援してくれる親が多いように思う。応援してくれるからこそ頑張れるし、挑戦もできる。
私は大学生になって一人暮らしをすることと車の免許を取ること、これが高校生の時の目標だった。笑
だから、絶対に一人暮らししないといけないような地域にある大学のパンフレットばかり取り寄せていた。それこそ、北海道とか、九州とか沖縄とか。笑
残念ながら車の免許を取ると言うのは視力的に難しくなってしまったが、この時、親が一人暮らしなんてとんでもない!危ないから家から通える範囲の大学にしなさい!と言われていたら、今の私はないだろう。
きっと、心の中ではとてもとてもとても心配だけど自分がやりたいと思った事はやらせてくれた。
これは障害のあるなしに関係なく、どこの家庭でもある話ではないかとも思う。
あなたは女の子なんだから、大学院に進学する必要はないでしょう。そんなことしたら、結婚できなくなるわよ。
そんなふうに言われたことで大学院進学を諦めた女子大学生もたくさん見てきた。
親と言うのは子どもの人生にとって大きな障害にもなれば、大きな追い風にもなる、私も親になったのでできれば子どもにとっての障害ではなく追い風になりたいと思う。
ちなみに、今回のドラマの中で出てきたハイヒールは危ない!と言うのは視覚障害のある女性なら1度は言われたことがあるようだ。ずっと、スニーカーしか履かせてもらえなかったからといって大人になって初めてハイヒールをはいて喜ぶ視覚障害のある女性を見たことがある。
また、このドラマの中では親と言うよりかは姉が重要な役割を担っていた。障害のある子どもを支援する場はたくさんあるのだが、障害のある子どものきょうだい児を支援する機会はあまりない。ドラマで描かれていたように、過剰な責任感を持っていたり、自分が頑張らなくては!と思っていたり、障害のある子どもと同じ位支援を必要としているのは障害のないきょうだい児たちなのではないかと私は常々感じている。
親だから、兄弟だからと言って障害のある本人の気持ちを誰よりも1番理解しているかといえば、実は、1番身近だからこそ素直にお互いの気持ちを伝えられていないと言う事もよくある。
ドラマの中で描かれていたようにあんな風に感情をぶつけ合い、気持ちを消化できる機会、それこそがとても大切なことだと感じた。

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