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法輪寺 三重塔から見えるもの


法輪寺 三重塔


聖徳太子さまゆかりの土地、斑鳩には「斑鳩三塔」と親しまれる塔が3つあります。

法隆寺の五重塔
法起寺の三重塔
そして法輪寺の三重塔です。

奈良には素晴らしい御塔がいくつもありますが、法輪寺の三重塔は現存最大最古の三重塔として国宝指定を受けるほどでした。

しかし昭和19年、悲劇が襲います。
落雷で消失してしまったのです。

長年お寺を守ってこられた関係者の方は、どんなにか驚き、落胆し、悲しんだことでしょう。

古代より親しまれた斑鳩三塔がニ塔になってしまいました。

そもそも法輪寺は、聖徳太子様の息子、山背大兄皇子が、太子さまの病気回復を願って作られたという伝承がある場所です。

この伝説が本当なら、山背大兄皇子はもちろん、聖徳太子さまだってその存在を知っていたかもしれない塔だったのです。

焼失後の再建は、困難を極めたそうです。

焼けてしまったことで国宝が解除されてしまい、それは公的な支援を得られないということでした。

今のようにクラウドファンディングがあるわけでもなく、昔ながらの勧進に出かけても停滞を繰り返す。

そんな時に支援してくれたのが、作家幸田文さんでした。

作家 幸田文さんの支援


幸田文さんは、あの明治の文豪 幸田露伴の娘さんです。

幸田露伴といえばあの『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉とともに「紅露時代」を築いた作家です。国語の教科書で、近代文学の夜明けとして必ず登場する作家。

この幸田露伴の代表作が『五重塔』という作品で、実在した五重塔が焼けてしまい、その再建を描いたお話なのです。
焼けた五重塔は東京の谷中にあったもので「谷中の五重塔」と親しまれていました。

幸田文さんは、谷中の五重塔が焼けたことを記憶していたそうで、法輪寺さんの悲劇を他人事と思えず、支援にのりだしてくれました。

その甲斐あって法輪寺の三重塔は復活。
幸田文さんの支援は、「法輪寺 三重塔再建の物語」として語り継がれています。三重塔再建ものがたり - 法輪寺公式 - 奈良 斑鳩 法輪寺 (ikaruga-horinji.or.jp)


三重塔から見えるもの

復活した三重塔は、外側は昭和ではありますが、そこにやどる魂は飛鳥時代が残っています。

塔は焼けてしまったけれど、仏舎利は拾得できたというのです。

塔は元々ストゥーパといい、今で言うお墓のようなもの。

この仏舎利を安置した立てた柱(心柱)をおおうカバーが塔なのです。

仏舎利は外から見えません。

しかしもっとも大事なものです。

三重塔は今も大事なものを守り抜いて、今もあるといえます。

本当に大事なものは目には見えないんだよ!というのは星の王子さまの言葉ですが、私達は法輪寺からも、それを知ることができると思うのです。


巻頭のイラストは500mlさんのものを拝借しました。ありがとうございました。





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