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円空展最高によかった! ただ自分であること

大阪にある「あべのハルカス美術館」にて『円空展』開催中です。

円空 ―旅して、彫って、祈って― あべのハルカス美術館開館10周年記念 | あべのハルカス美術館 (aham.jp)(4月7日まで)

開催直後からとても評判がよく、行かねばと思いつつ、会期があと2週間に迫ったとところでやっと行ってきました。

抜群に良かったです。

よかったこと1
円空の仏像が、単なる造仏とは違うことがよくわかったこと
実は円空の作品をきちんと見るのは初めてでした。
円空は生涯に何万体も彫ったと言われ、現在5300体あまりが発見されているといいます。(ウィキ情報)なので、どこか、なにかを訪れた時「あ、これが円空の作品」ということで見たことや、写真で見たこともあります。

でも、今回まとまって拝見した円空仏は、どれも趣が違って、どれも命がほとばしる大作でした。
円空の作品は、どこか荒々しいノミの跡。顔などはほぼ線で表現されていて、いわゆる仏像のセオリーからは外れているという印象でしたが、それでもなお訴えかけるものがあること。

目や鼻などを省略することで、本当に彼が表現したかったものがその表面に現れているのがわかるのです。

また、山に立つ木をそのまま使うことで、仏像はつまり木であること。山の命であること。それは神が宿るものであること…

仏像という単純に形を作ったのではなく、そこには祈りを捧げる対象だったり、思いだったりということが削りだされているということがよく分かる展示でした。

よかったことその2 
円空という人が、単なる風来坊ではなく、当時の仏教の血脈を正統に継承する正式な僧侶であったことがわかったこと。

円空という人は旅に生き、日本の各地で仏像を制作した人です。

作品には山岳信仰に欠かせない蔵王権現像や、役小角像が多数あることから、彼が修験道の行者として生きていたことがわかります。

同時に、天台宗の教えを受け継ぐ正統な立場を許されたことがわかる文章の展示などがあり、彼が単純なアウトローでなかったことを初めて知りました。

仏教の教えや修行という土台の上で、あえて今円空でしかないすごいものを沢山残せている。

つい独自性とか、個性とかはなにか途方もない場所から出てくるような気がしますけど、でも根本には日本古来の仏教教学があり、そこに立った上でどうしようもなくあふれて出てくる「自分」がある。

この展覧会を通して、「ただ自分である」ということが、いかに人に力を与えるのか、ということがものすごく見えた気がします。


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