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因と縁と、それから私

いかに生きるのか?

という問題は、青少年の頃の課題のように見えますが、実は生涯に渡ってつきまとう問題です。

今私は48才で、それなりにいい大人ですけれど、それなりに毎日ああだこうだと思い悩み、よりよいところへと着地するために自問自答を繰り返します。

奈良で仕事をしている関係から、神社仏閣を訪れることが多く、その流れで「仏教の話」を聞く機会が多くあります。

奈良の仏教はとても興味深いものが多いのですが、その多くは奈良時代以降に作られたりまとめられたりしたものです。

ざっくりと1300年前の話です。

しかし仏教の起こりは、ゴーダマ・シッダールタという青年が悟りを開いたことから始まりました。

ざっくりと2500年も前の話です。

たったひとりの悟りから、複数の弟子たちへ。そして教団という大きな器へと変わって行って、仏教は変貌をとげます。

お釈迦様が説いた教えとは、まるで違うものへと変身してしまったのです。

お釈迦様は聡明な人だったと思いますので、そんなこともお見通しかと思いますけれど、似て非なるものどころか、別じゃね?と思うくらいの変貌っぷりなのです。

たとえばお釈迦様は修行のために家から出ること、家族をもたないことを教えました。

家から出ること、これぞ出家です。

妻を娶らない、子供を作らないことで、もっともとっぱらうべき「執着」から逃れることを教えます。

富を蓄えず、生産をせず。

こうして自分の修行を完成させることだけに邁進するのです。

でも、すでに出家の意味は失われ、家族を持つこともタブーでなくなりました。

「ただひとり、犀の角のようにただ独り歩め」
お釈迦様が教えた孤独は、もはやありません。

ただ、万物は流転し、すべては変わっていくものですので、時代に応じて教義が変わることこそ、仏教が現代まで生き残った理由でしょう。

そもそも、お釈迦様ただおひとりしか、できないことだったのかもしれません。

だとすると、お釈迦様の説いた教えというのは、その後の人類がよってたかっても、自分のものにできないかもしれず…。だからこそ、とんでもなく優れた教えとして存在しているようにも思います。

お釈迦様の教えの中で「すべては因と縁によるものである」
というのがあります。

『諸法は因縁より生ず 如来はその因を説きたまう
諸法の滅するもまた然り これ大沙門の説くところなり』
『本生経』

すべてには因(原因)があり、その結果、縁へと運ばれていく
ただそれだけのことにすぎない

ということです。

車に乗って猛スピードで走り抜けた。
結果、カーブを曲がりきれず、事故にあった。
スピードを出すという因が、事故にあうという結果を招いた。
ただそれだけのこと。
たまたま、事故にあった時に柔らかいところに放り出されて助かるかもしれない。
硬い所に落ちてケガするかもしれない。

でもそれはただのめぐり合わせ。

日頃の行いがよかったから、助かったわけではない。
前世からの悪行の報いで、ケガしたわけではない。

ただ因があった。

もし「スピードを出さざるを得ない」急用があったとしたら、それもまた「それを作った因があった」だけのこと。

運ばれた先で専門のドクターが、たまたま出勤していた。
これは縁。

専門でないドクターしかいなかった。
これも縁。

そしてこの縁が「よかったのかどうか」
それは誰にもわからない。

私達にはその時のことでしか、その時の感情での判断しかできない。

ヘボ医者しかいなくて、後遺症が出てしまって別の病院に転院して、
看護してくれた女性と恋に落ちるかもしれない。

こういうことを考えた時、ただひたすら、自分の中に灯火を持って進むこと、自分で考えること、自分の力以上のことは流れにゆだねること。

こういうことを、悟って教えてくれた偉大な先人に驚愕しかありません。



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