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大病体験記 第4章「そこに在る」02

 ようやく収入の見通しが立ち、一安心していた8月、息子が再び1週間程度帰省できることになり、お盆前に帰ってきた。
 大学生の帰省は忙しく、朝から晩まで友人と遊び歩いているため、なかなかゆっくり話をする時間は取れない。
 まして、男親と、大学生の息子だ。
 無口な者同士。
 話も弾まない。
 自然、2人きりになろうとしなくなる。

 彼は、息子の今回の帰省の間に「息子に謝りたいな」と考えていた。
 幼稚園、小学校、中学校と、少し息子に、厳しく接し過ぎたことを、公開していた。
 父親から見て、息子は、理解力や整理力は高いのに、落ち着きがなく、発言が場当たり的で、地道な努力が足りていないように感じられた。
 しかし、小学校6年生の時、病院で発達障害について調べてもらい、息子が軽度のADHD(注意欠如・多動症)であることが判明した。
 努力や生き方の問題ではなく、特性を理解したうえで特長を伸ばしていかなければならない類の「人との違い」だった。
 それなのに、彼は、そして妻にも後悔があるようだったが、集団の中で目立ってしまう、時に友人を傷つけてしまう息子を、しばしば強引に周囲に合わせようとした。集中力が足りないように見えた際には、強い言葉で𠮟りつけてしまった。

 これは、「親だから」で片づけていい問題ではない。
 彼は、明らかに自分に非があると思った。
「いつ自分の人生が閉じるかわからない」という段になり、時々しか会えない息子に、「自分が悪かった」「お前は悪くない」という率直な気持ちを伝え、これまでの過ちを詫びたかった。

 娘の習い事に妻が連れ立ったある午後、遅く起きてきた息子と一緒にそうめんを食べる機会が訪れた。
 麺をすすり、少し食べたタイミングで、おそるおそる話してみる。
「あのさ、小さい頃、お前に厳しくし過ぎたろ?」
「謝ろうと思って。」
「お前は悪くなかったから。俺が言い過ぎた。ごめん。」

 息子は何も語らなかったが、「聞こえた」「謝罪を受け止めた」という表情は見て取れた。
 俄かに「許す」と言えるほど軽い体験ではなかったのだろう。
 だが彼は、「言えるうちに言いたいことが言えてよかった」と思った。
 どう感じたかは、息子の問題だ。
 対等な人間として、息子に謝れたことに、勝手かも知れないが、彼は安堵した。

 また、S医師から紹介を受けたO市の病院で定期的に検査を受けてはいたが、小脳出血が急に再発した時のために、彼は家族に向けた「エンディングノート」も密かに執筆した。

 事務的な遺言に加え、家族への感謝の言葉を添えた。

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